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第一渡辺文録

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カテゴリー「明治新道・勝木峠」の記事一覧

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明治新道・勝木峠 その十 間ノ内川の谷への高低差

標高60m程度であった峠から間ノ内川の谷へ進みます。その差約40m程を下ることとなります。

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大久保山の縁を新道は下ってゆきます。此処は比較的勾配が急な場所でした。おそらく当時の明治新道の規格である十五分の一(6%)ぎりぎりの勾配率だと思われます。

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間ノ内川の谷筋にある支流が入り組んでいる場所は谷が深めになっており、すぐ眼下に見える道との高低差は30m近いものがあります。

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直ぐに九十九折の屈折が始まります。

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急角度の屈折と緩やかな勾配の直線を繰り返す新道。

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所々に180度の屈折が現れます。僅か数mの高低差の為に施された十分な幅員を持つ道。荷車道としての名残を十二分に現しています。

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谷の平坦部まで来ると農地としての土地利用があります。小規模な河川の谷底沖積地には比較的上流まで水田としての土地利用が確認できる箇所が多くみられます。

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水準点がありました。初版の地形図から存在するものです。これもかつての主要道路であったという場所の形跡でしょう。

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昭和44年発行五万分の一「勝木」より

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谷底沖積地に出た平坦な道はこのままの位置で間ノ内川を渡ります。

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明治新道・勝木峠 その九 碁石川と間ノ内川との分水嶺

次の谷である間ノ内川との分水嶺に差し掛かります。


現在の国道7号及び羽越線は大久保山の西、大崎山をトンネルで越えていますが、この明治新道勝木峠は大久保山の東側にあるほぼ平坦な南北の谷筋を上手く通しています。明治中期の土木技術では隧道を開鑿することは不可能ではなかったにしろ莫大な費用と工数が掛かったのでしょう、地形的な特徴を生かした線形が延々と続く明治道の山越えをしています。

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現在も自動車を通す現役の道であるため、所々に新しい補修箇所が見られます。市町村道の扱いであると思いますが、元一級国道であるため堅牢な路盤を持った道なのでしょう。

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ほぼ平坦な谷筋を進む道。路面には沢水によるものでしょう、流水がありましたが泥濘までにはなっていません。

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さらに進むと浅い切り通しになってきました。両端には植林された杉林となっています。

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ここで二回目の分水嶺である碁石川と間ノ内川との境に到達しました。標高は60mほど。登ってきたという感覚は殆どありませんでした。

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峠に残るL字鋼による道路標識の支柱。一級国道7号に指定された直後(昭和30年前後)に設置されたものでしょうか。警告標識があったものと思われますが支柱のみが残されていました。

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ここから間ノ内川の谷筋へと下る道が始まります。

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直ぐに前方が開けた場所に到達します。間ノ内川の谷は低いためにこの先屈折を繰り返して下ることとなります。

その十へ

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明治新道・勝木峠 その八 標高を稼いだ平坦な峠道

碁石川の谷を渡った明治新道・勝木峠は、この先ほぼ平坦な勾配が続きます。

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碁石川の谷を回り込んだ新道。谷とは一段高い場所を通っています。

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10m以上は高低差があるでしょうか。碁石川の上流部を渡って標高を稼いだ道には石積みの擁壁がありました。

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碁石川の谷筋に沿って碁石の村へと分岐した道。この先はすぐに平坦な水田へとなり、碁石の村へと緩やかに下っています。

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標高を稼いだ道は間ノ内川との次の分水嶺である峠までは殆ど登りにはなっていません。

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昭和27年に「一級国道七号」になってからの改修でしょう。コンクリート製の駒止がありました。

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振り返ってみる(南側)を見るとほぼ直線の道であることがわかります。

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ちょっとした切り通になっていました。元は狭い谷筋だったのでしょう。

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植林された杉林が続くその先は少し開けた場所のようです。

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まだ分水嶺までは到達していませんが、このように地形的に平坦な箇所の続く位置を選んで明治新道は開鑿されていったのでしょう。実際に碁石川を渡ってから標高は40m程度が続いています。

その九へ

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