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第一渡辺文録

越後海府浦をあるいています 別館 http://watanabenumber3.blog.shinobi.jp/もどうぞ

   
カテゴリー「海府の山越え古道・板貝峠」の記事一覧

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海府の山越え古道・板貝峠 その十三 板貝峠についての考察

海府浦浜通りに於いては、特有の断層地形を越える為に海岸線すぐの場所に道を通し、崎の岩山越え、若しくはヘツリ渡りを繰り返すものでした。
しかしこの板貝峠に関しては、海岸線からやや奥に入った場所に道が施されています。

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板貝の浜以南はこのような断層崖を形成する急峻な地形が連続し、山越えやヘツリ渡りをするには困難な場所となっていました。そこで道は山中に入った箇所に通されることとなります。人為的に「施された」物ではなく、自然発生的に生み出されたものなのでしょう。

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板貝側より。(カシミール3Dで描画)
この図でも海岸線沿いが急峻な崖で構成されていることが表現されています。注目すべき点は、板貝側から峠部までが尾根を伝っていることでしょうか。谷筋を上がっていくのではなく、谷を回り込むように稜線まで上った後、比較的平坦な尾根伝いの道がしばらく続くことになります。

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一方の笹川側では、板貝峠の最高点を過ぎるとすぐに谷筋を下っています。峠を境に北側(板貝)と南側(笹川)で異なる姿を持っていることが特徴となります。

北側では冬季の積雪を考慮し、吹き溜まりになる谷筋を避けたものと考えることができます。一方の南側では、貴重な耕地となる平場の存在が谷筋にあったこともあり、尾根筋ではなく谷から入る道が施されていったのでしょうか。
かつてはもっと川の上流、奥にあったとされるムラですが、やがて集落として形成され定住が始まったのは数百年ほど前のことです。山塊の「道なき道」を伝って近隣と交流をしていた時代から、やがて農耕と共に定住し始め村が成立する頃に、現在の板貝峠の原型が作られていったものと考えられます。その後、海府浦浜通りとして成立し、大正期に現在の一般国道345号の原型である道が通るまでは、「唯一の陸路」として板貝峠は存在していました。何度も人の手によって改良された峠道は、現在でもその形跡を残す場所が多く存在しています。
但し、それ以上の規格の「街道」として整備されなかった理由があります。それが海路の存在になります。少なくとも大正13年に羽越線が開通するまでは、海上交通が主であった時代が長く続きました。特に江戸期以降、河村瑞賢による西廻り航路の成立後は各浦々を結んだ小廻舟による輸送の航海技術が発達し、海府浦にも多くの廻船問屋が存在することとなります。

伊能忠敬の測地も海上から行ったものと記録されており、あくまで交通に関しては発達した技術の上に成り立っていた舟による海上交通が主役という時代でした。その中で特に風光明媚であった板貝から笹川までの海上区間が、現在でいう名勝天然記念物「笹川流」として広く知れ渡ることになります。

板貝峠は集落の成立以後自然発生的な山越え道として、ごく限られた交通の為に存在していたものと考えられます。しかし、冬季等の時化によって舟が出せない時でもかろうじて交通を確保できていたのも事実なのでしょう。決して主役にはならなかった古道である峠道ではありますが、その存在を色々な角度から考察することが、今の「県立自然公園笹川流れ」を説明することに必要不可欠な存在であるということが言えるでしょう。

海路の歴史、現一般国道345号である海沿いの道の歴史、羽越線がもたらした歴史、様々な背景が絡み合って現在の姿があります。板貝峠はこの中で一番最初に成り立った道なのでしょう。山中に眠る古道の存在。これら一つ一つ歴史背景ふまえながら海府浦についての詳細を紐解いて行きます。

海府の山越え古道・板貝峠 了

海府の山越え古道・板貝峠 その一へ
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海府の山越え古道・板貝峠 その十二 笹川村の谷

ようやく笹川村の谷へたどり着きました。

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笹川を跨ぐ橋はコンクリート製となっています。河川改修時のものでしょう。もちろん自動車等が通れるものではありません。


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沢筋に沿って下ってきた峠道。小さな流れが下刻作用で作り出した谷でもあります。そこに峠道を通していました。

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笹川村からの入り口。ここから谷筋を遡って板貝峠へと登ってゆくことになります。峠の入り口としての雰囲気は今も十分です。

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笹川が作り出す谷底沖積地。狭く細い谷がここから海まで続きます。その先に見えるのが笹川の村です。

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河川改修によって護岸があるため、当時の姿は薄いものとなっていますが、この位置に古道がありました。

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村の入り口まで来ました。この先の街道は村の中を通っていたものでした。板貝の口とは異なり、この場所には地蔵尊や庚申碑等はありませんでした。笹川村からと板貝村から見た峠の存在の違いなのでしょうか。

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現在の道(車道)は笹川に沿って作られています。

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その先にある橋。ここが昭和49年に整備された遊歩道の笹川入口になります。

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笹川の河口までやってきました。大正13年竣功の羽越線橋梁、その先に大正6年頃に最初の架橋がされた海府浦浜通り・現一般国道345号の笹川橋と続き、日本海へと合流することになります。

板貝村・笹川村間の海岸線に沿った浜通りが、「道」として最初の形となったのが大正6年頃の事となります。それまで利用されていた陸路がこの板貝峠でした。自然発生的な山越え道ですが、地形条件を巧みに利用し使われてきた峠道です。周辺の村々を移動するのみの利用で、決して「街道」とまではいかない道でしたが、所々に当時の形跡を残し今に至っています。

今回は板貝の口から笹川の口まで越えることにより、今の現状をレポートしてきましたが、板貝峠の存在について次回考察をしてみることとします。

その十三 板貝峠の考察へ

海府の山越え古道・板貝峠 その一へ戻る

海府の山越え古道・板貝峠 その十一 笹川村の入り口へ

笹川の村の入口まであと一息です。

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足元に流れる沢と並行して進みます。

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途中には岩肌がそのまま露出している箇所もありました。ここも旨く道筋としたのでしょうか。

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岩肌を流れ落ちる沢。ここを渡っていたようです。峠途中の平場を越えた箇所から続いた沢伝いの足場の悪い道はここまでです。

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沢を跨ぐとすぐに程度の良い道となりました。このあたりまでは人も良く入っているのでしょう。沢水の影響が無いので道筋がはっきりと付いています。

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コンクリート側溝が現れてきました。もう村まであと少しです。

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ここまで来れば普段の生活で入る山への道となっています。

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笹川の谷が見えました。村はすぐそこです。古道として道がはっきり残っていた場所、足場の悪い場所を繰り返しながら、板貝峠を越えてきました。

その十二へ

海府の山越え古道・板貝峠 その一へ戻る

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