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第一渡辺文録

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カテゴリー「海府の山越え古道・板貝峠」の記事一覧

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海府の山越え古道・板貝峠 その四 古道と板貝口の遊歩道

さてこの板貝峠の古道ですが、昭和49年より板貝側の口が遊歩道として一部整備をされており、地形図上にも「遊歩道」の文字を見ることができます。

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昭和52年発行25,000分の1地形図 「笹川」より
板貝峠を挟んで南側に遊歩道を整備したのが昭和49年のこととなります。板貝側、峠までの尾根伝いになる場所が古道板貝峠をそのまま利用したものでした。
※遊歩道については別の機会に取り上げたいと思います。

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板貝の村を眼下に眺めながら山中の峠道にこれから進みます。

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山路にしては比較的道幅がしっかりしているようです。特に遊歩道化で拡幅されたわけではなさそうです。

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谷筋の西側斜面を緩やかに登る峠道。決して交通量が多かったわれではありませんが、古より続く街道の雰囲気を出しているのでしょう。山越えとはいえ非常に歩きやすい道です。

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北側に当たる谷筋を外して道が作られていったのも、冬場の吹き溜まりから避ける為なのでしょうか。西側に山肌があることからも、海からの西風による風雪を遮る効果と考えることができます。

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やや険しい登りになってきました。板貝側はやや勾配のきつい登りが続くようです。

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「お地蔵清水」という水場があったようです。休息をするには良い場所だったのでしょう。

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遊歩道化や整備がその後も幾度か続けられ、このように足掛けの木を設置している箇所もあります。このあたりはきつい登りが続く場所で、明治道に見られるような緩やかな勾配とは程遠いものでした。やはり人の移動のみを考慮したものだったのでしょう。

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板貝の村から登ること標高60m程の場所に来ました。谷筋からは板貝の村とその先に広がる海を眺めることができます。ここからは尾根を伝って南進することになります。



その五へ

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海府の山越え古道・板貝峠 その三 板貝川の谷より

それでは板貝峠に入りましょう。

板貝の村は谷底沖積地を作り出す板貝川に沿って集落がありました。海府の多くの村は海岸線に並行な列村形態をとっているものが多い中、河川上の谷底沖積地が発達した板貝および笹川の村では、谷筋に並行という集落形態がみられます。これは街道が一旦山中に入って山越えをしていたことにも拠るのでしょう。街道筋から見ればこれも列村形態の種に含むことができます。


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浜通りの現道から板貝川を遡って少し奥に入ります。大正13年に開通した羽越線が築堤で横断をしています。

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後背地にある水田の先に板貝峠の入口があります。

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村の中から繋がる小道がありますが、これが徒歩道であった時代の海府浜通りになります。

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板貝峠の入口(出口)には、地蔵尊や庚申碑・観音といった多数の石造遺物が一か所にまとめられています。難所の入口であり村の入口でもある場所ですが、今もなお残る山越え峠道の形跡ともいえましょう。陸路としての板貝峠の存在感を示しているのでしょうか。

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直ぐに九十九折で山中に入る道へと枝分かれをします。これが板貝峠の入口になります。


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街道とは言うものの徒小径である道なので人が歩く程度のものになっていました。このあたりまでは村の耕地があり日常で人が入る箇所になっています。此処を越えると板貝峠の山越え道が始まることとなります。

その四へ

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海府の山越え古道・板貝峠 その二 古地形図から見る板貝峠と名勝笹川流

板貝峠に関する古い地形図を見てみましょう。

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大正5年発行五万分の一地形図「笹川」より

この図はアジリキ崎・板貝ヘツリで紹介した地形図から直ぐ南に続くもので、大正2年に図測した地形図であることから海岸部の隧道(大正4~6年にかけて開鑿)及び羽越線(大正13年開通)は描かれておらず、板貝峠の徒小径のみが「道」として描かれています。ちょうど峠道によって山越え迂回する部分の海岸部に「笹川流」の文字を見ることができますが、これが狭義で言う現在の名勝笹川流に相当します。(国の名勝・天然記念物として指定されたのは昭和2年)

大正期に海岸線沿いの道が開鑿されるまでは、陸路としての道は板貝峠しか無く、「笹川流」に近づく手段は海上交通のみであったことがこの地形図から読み取ることができます。つまり海府浦を南北に縦断する手法として主であったのが海路であった為に、海からの景勝を愛でたとされる「笹川流」の名称が道の無い時代にも地名として地形図上に記載されている、ということに繋がります。

海府浦でも特に切り立った断層崖や浸食が進行し、険しい場所を迂回する峠道が板貝峠になります。その海岸線の男性的な美を景勝したのが、笹川流と呼ばれた海路からの眺望となります。陸路が自然発生的な山越え道から海岸線沿いに移り、鉄道の開通を迎えるのが大正末期~昭和初期のことであり、この時期(昭和2年)に日本百景の選定及び国指定名勝天然物として新聞等で紹介され笹川流が広く知られることとなります。

※笹川流についての詳細は別の機会に取り上げたいと思います。

このように海岸線を伝う道の無い時代があった板貝笹川間の道ですが、この板貝峠がどのような形で生きていた道なのかをまず確かめてみましょう。


その三へ


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