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第一渡辺文録

越後海府浦をあるいています 別館 http://watanabenumber3.blog.shinobi.jp/もどうぞ

   
カテゴリー「海府の浦を繋ぐ道~深浦・恵比寿浦~」の記事一覧

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海府の浦を繋ぐ道~深浦・恵比寿浦~ その七 深浦より恵比寿浦(一)

深浦の入り江より恵比寿浦までには五本の隧道が記録にあります。深浦より、「炭沢隧道」「尺ナギ隧道」「アカタビラ隧道」「平木隧道」「カタガリ松隧道」の五か所が存在していました。

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昭和52年発行二万五千分の一地形図「笹川」より
昭和50年の国道昇格に合わせて改良された道路は、深浦より先が三本の隧道になっており、実際にも「炭沢(たんざわ)隧道」「アカタビラ隧道」「カタガリ松隧道」の三か所で構成されています。

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昭和50年改良の「炭沢隧道」を潜ります。その先には「アカタビラ隧道」が見えています。

P5011436.JPG
「アカタビラ隧道」は「カタガリ松隧道」と途中覆道を介して繋がっています。深浦より炭沢隧道に至るのに登ってきた道は、ここから恵比寿浦までは下り勾配で降りるように道が構成されたようです。

P5011437.JPG
炭沢隧道を抜け、少しの明かりを挟んでアカタビラ隧道があります。同時期の造りであるためか、炭沢隧道とほぼ同じ仕様であることが特徴でしょうか。

P5011459.JPG
炭沢隧道とアカタビラ隧道の間より海側を臨むと、このような断層崖で構成された岩石海岸が繋がっています。

P5011443.JPG
入り江と入り江を刻むように細かい谷が存在し、延長の短い隧道が何度も連続していることが地形的な特色ともいえるでしょう。

P5011438.JPG
断層地形特有の小さな滝が流れています。「沢」地名が多いのもここから来ているのでしょうか。おそらくこの滝が「炭沢」なのでしょう。

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「アカタビラ隧道」の中に入ると「カタガリ松隧道」とを繋ぐ覆道区間が直ぐに現れます。この場所にも隧道があったようで、現在のアカタビラ隧道の位置に「尺ナギ隧道」が、この覆道の位置にアカタビラ隧道が大正期に開鑿されたようです。

P5011464.JPG
アカタビラ隧道とカタガリ松隧道をつなぐ覆道の位置からは、海側へ向いて道が繋がっていました。
その先にかつての道路が一部残っています。

その八へ

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海府の浦を繋ぐ道~深浦・恵比寿浦~ その六 深浦の景

「神宮沢」の隧道を抜け、深浦の浜に到達しました。
P5011422.JPG

谷を刻んだ場所にある入り江には砂の堆積があり、岩石海岸の中で僅かに浜の存在が確認できます。

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板貝峠の尾根筋から眼下に臨める場所が「深浦」の入り江になります。ちょうど、尾根筋の場所から峠に差し掛かる場所の真西にあたる谷の下に「深浦」が存在します。
カシミール3Dにて作成

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板貝峠側を見上げますが、実際にはずっと奥に位置しているためか、峠の尾根筋はもう少し引かないと確認できないようです。かつてはこの場所に狸掘りの銅鉱脈があったといいます。花崗岩で構成された比較的年代の古い地質であるため、戦前まで蒲萄山塊には多くの小規模鉱山が開発されていたようです。※蒲萄山塊の鉱山については改めてとりあげたいと思います。

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昭和44年以降に建設された護岸が続き、その上部に現在の一般国道345号が通っています。それ以前は、大正13年に建設された羽越線の鉄道護岸があったようです。

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道路と鉄道の位置関係。すぐ山側に羽越線が通っていますが、板貝の村中から直線で深浦まで「板貝隧道」が通り抜けています。
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深浦を抜けると、すぐに羽越線は「笹川隧道」で次の入り江である「恵比寿浦」まで通過しますが、一方の道路は細かい岩山越えを5本の隧道で繰り返していました。

その七へ

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海府の浦を繋ぐ道~深浦・恵比寿浦~ その五 板貝浜より神宮沢(三)

短い隧道である神宮沢第二隧道を潜り、その先の神宮沢第三隧道を抜けると「深浦」と呼ばれる浜に到達します。

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板貝の浜と深浦の間にある磯を繋いでいった道。大正初期にその狭間に聳える岩山を刳り貫いて隧道が敷設されていきました。

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こういった場所は、砂浜ではなくより径の大きな礫が堆積している場合が多いもので、一方の陸側には断層地形でもある急崖が迫っています。そのような僅かなスペースに道を施され続けた形が現在の国道の姿でもあります。

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昭和37年に当時の塚田新潟県知事が県道視察に訪れた時の資料があります。
昭和50年発行・町村合併20周年記念事業「ねんりん」より(山北町役場発行)


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場所はこのあたりのようです。当時の道は陸側の地形に沿っていた箇所が殆どで、幅も1m程度のものでした。昭和44年の「海岸無雪道路」までは多少の改修があったとはいえ、おそらく大正期の最初の道からそう変わってはいないのでしょう。

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「神宮沢第三隧道」です。花崗岩の地肌が見えるような急崖の場所に刳り貫かれたものです。

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昭和50年の国道昇格時にあわせてコンクリート巻に改修されたもので、海府浦では最も長い167.5mの延長があります。昭和44年の車道拡幅以前は「狭く暗く足元の悪い」隧道でしたが、ほぼ直線で向こうの明かりも見えたことがまだ幸いしたのでしょう。幅員1.1m,高さ1,7mという記録が残されています。

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神宮沢第三隧道を抜けた場所が「深浦」と呼ばれる場所です。

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比較的広い入り江と砂の堆積が広がっています。この場所はかつては舟でしかたどり着けない場所でした。

その六へ

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