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第一渡辺文録

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カテゴリー「蒲萄峠を渡る 第二部 蒲萄峠篇」の記事一覧

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蒲萄峠を渡る 蒲萄峠篇その五 旧街道と旧国道

蒲萄峠の歴史には、明治17年から26年頃にかけての新道開鑿、大正9年の国道指定(旧道路法による大正国道10号)、昭和27年の新道路法による一級国道7号指定と大きく分けて3度の改修期がありました。

蒲萄の村を経由する旧街道と合流した新道は、(狭義でいう)蒲萄峠の区間は同じ場所を越えています。

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峠越えのつづら折りが始まります。明治17年の最初の改修で、旧街道の形跡は殆どありませんが、馬曳もあった街道であったことからも、ほぼ同じように峠越えをしていたものと思われます。

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非常に緩やかな勾配。蒲萄の村の時点で200m程度の標高がありますが、蒲萄峠は260m程度なので約60mの登りとなります。

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高低差そのものは少ないですが、荷車道として改修された新道は山裾を幾重にも折り返しながら峠を目指します。

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このような大きなカーブが感度も現れます。旧街道の屈折を何度も改修して、「国道7号」としてのカーブになっていったのでしょう。

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蒲萄山塊を背後に、つづら折れを登ってきました。

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この屈折を過ぎると暫くは山裾を進む道となります。

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新道の特徴でもある直線的な切通し。厳密に言えばこの場所も分水嶺となりますが、この先、花袋の紀行文でも「退屈な路」とも称された新道は、旧街道のルートをなぞりながら上り下りも少なく山裾の峠を進みます。




蒲萄峠を渡る 第二部蒲萄峠篇その一へ
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蒲萄峠を渡る 蒲萄峠篇その四 峠と村との入口

それでは蒲萄峠(蒲萄川水系蒲萄川と明神川との分水嶺)を目指します。

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蒲萄の村中と水田とを避けるように、山裾を進む新道。その後の一級国道7号改良(現一般国道7号)は、蒲萄川の谷沿いに進み、この先の長大トンネルで峠を越えています。現在の国道は旧街道と同じく、蒲萄の村中を再び通る筋になっている点が特色となっています。
一方の旧出羽街道庄内通は、宿場である蒲萄の村中を通り、村の北側から蒲萄峠へと急勾配を登る道筋となっていました。
(カシミール3Dにて描画)

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蒲萄の村の中心部が見えます。そこから棚田を経由して何本かの道筋が新道へと繋がっていました。

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最も北側にある降口。おそらくこの場所が、明治新道蒲萄峠と旧出羽街道庄内通との分岐・合流点であったと思われます。

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ここから先は、暫く旧街道とほぼ同じ場所を改良拡幅した道が続きます。

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緩やかに高度を上げた峠道。蒲萄の村も随分と下に見えるようになりました。

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山中の道らしい雰囲気が出てきます。

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頭上に幾重かのつづら折りが現れました。ここからが峠道が始まります。

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十分すぎる道幅を持ったカーブ。これが明治新道起源の旧国道たる醍醐味です。このような折れを何度か繰り返し、蒲萄峠を越えて行きます。

その五へ

蒲萄峠を渡る 第二部蒲萄峠篇その一へ



蒲萄峠を渡る 蒲萄峠篇その三 村の上段を進む道とアーチ橋

長坂峠の新道を越えた道は、蒲萄の村を眼下にして、高度を下げずに蒲萄峠の分水嶺を目指しています。
荷車道としての特色なのでしょう。勾配をさほど考慮する必要がない徒歩道とはまた異なった事情が、道の位置を変えているのでしょう。
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蒲萄川の谷を挟んで東側には緩斜面が広がり、蒲萄の村の広大な農地が階段状に広がります。

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池の平川の谷にコンクリート製のアーチ橋が架橋されています。高度を保ちつつ、農地を潰さないようにしたものでしょうか。

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幅員は5m程度でしょうか。旧国道としての構造物があまり見られない中で、目立つ存在です。橋を渡って、山側に折れ池の平川を遡ると、「池の平」と称される広大な水田が広がる箇所があります。

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「いけのたいらはし」「施行村上町加藤組」の銘板。
竣功年の表記がありませんでしたが、おそらく昭和27年の一級国道7号改良時の竣功だと思われます。昭和初期の改良時では木橋での架橋であったと記録が残されています。

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逆U字に切り抜いた特徴的な欄干の下に広がる農地、その先には蒲萄山の頂が聳えます。

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このように、新道は高度を保つ意味合いからも農地の上段を通る形に通されました。その下部に見事な棚田が広がる景色が見られます。

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水準点がありました。ここがかつての主要道路であったことの証でしょう。大正5年の地形図では、195.97mと記されています。

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非常に緩やかな勾配で蒲萄の村の上部を過ぎ、この先の蒲萄峠の分水嶺へ続きます。


その四へ

蒲萄峠を渡る 第二部蒲萄峠篇その一へ

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