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第一渡辺文録

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カテゴリー「蒲萄峠を渡る 第二部 蒲萄峠篇」の記事一覧

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蒲萄峠を渡る 蒲萄峠篇その二 花袋の通った新道

田山花袋が大正8年に著した「葡萄峠を度る」では、古出羽街道ではなく、新道である荷車道を通っています。

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大正5年発行五万分の一地形図「蒲萄峠」より
太線で描かれた二重線が、「明治新道」と呼ばれた蒲萄越えの新道となります。西側(左側)の点線、長坂峠を谷に沿って越え、蒲萄の村に入る点線が出羽街道の筋となります。

1372be86.jpeg
南より長坂峠の新道を越えた分岐点にあたる箇所。ここで二股に分かれ、西側に折れ谷を下る道を、花袋は「寒川に通ずる道」として表しています。ここを下ると、蒲萄の村に降りることができます。

P5020022_R.JPG
一方、東側に折れ、谷を下らずに進む道が新道の蒲萄峠に続く道となります。

2f959ebd.jpeg
蒲萄の谷の東麓に広がる緩斜面の上部に新道は通されました。

P5020025_R.JPG
棚田が裾に広がり、蒲萄川が作り出す谷底に蒲萄の村はあります。出羽街道の宿場として難所の蒲萄越えの中継地として栄えた時代がありました。
明治26年頃とされる新道の荷車道は、宿場であった村を通らずに峠を越えます。

その三へ

蒲萄峠を渡る 第二部蒲萄峠篇その一へ

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蒲萄峠を渡る 蒲萄峠篇その一 街道の位置関係

それでは蒲萄峠を渡る第二部の蒲萄峠篇に進みます。

長坂峠を越えて蒲萄川の水系になる蒲萄の村にやってきました。

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カシミール3Dにて描画

蒲萄川の水系である蒲萄の村(左下)から、勝木川の水系である大毎(右上)までを進むのが一連の蒲萄峠の道筋となります。(厳密には蒲萄川の支流である明神川の谷をもうひとつ越える必要があります)地形的には、蒲萄山塊と並行に走る断層谷を西側から東側へ横断するイメージとなっています。
蒲萄川の谷は、この先北西方向に進路をとり、河口の寒川の村で日本海に注ぐ流路となっていますが、このルートに街道が存在していたわけではなく、山中を越え北東方向に従来の街道(出羽街道・庄内通り)が通じていました。
現在の一般国道7号は、蒲萄峠のルートを踏襲し現在に至っています。(日本海沿岸東北自動車道もほぼ同じ経路に建設されるようです)

江戸時代初期に秋田藩佐竹公によって蒲萄越えが初めて街道として整備されて以降、難所であった蒲萄峠の一連の道筋は何度かの改良や道筋の変更がありました。標高としては260m程度の峠道ですが、地形や勾配を巧みに克服した様子が伺えます。昭和41年に現在の7号が開通するまでの道には、一本の隧道もない峠道でした。
海府の浜通りに対して、出羽街道筋(内海府ともいう)の峠道は通りやすかった、ということにもなるのでしょう。明治25年に開削された明治新道の蒲萄越えが、最初の荷車道として、その後の国道(大正第10号国道・一級国道7号)として暫くの間主街道して利用されたいました。古の街道である出羽街道とも比較してやや異なった場所を通っています。

それでは、明治新道に視点を置いて一連の蒲萄越えを北進し越えて行きましょう。

その二へ

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