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第一渡辺文録

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カテゴリー「ヒトハネ山と柏尾隧道」の記事一覧

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ヒトハネ山と柏尾隧道 その二 ヒトハネ山の隧道と歴史

道の先には、ヒトハネ山の隧道がありました。山肌を切り崩し、コンクリート法面がむき出しの状態になっています。


明治時代に開鑿された隧道は、昭和16年に拡幅された記録が残っています。その後昭和40年代の車道化でコンクリート吹付等の改良があったのでしょう。
近年まで一般国道345号だったこともあり、二車線規格の道路があり、「追い越し禁止」のオレンジ色のセンターラインが今も残っています。


すぐ山側には、羽越線間島隧道が位置しています。鉄道は集落名をそのまま名付けたようです。


現在の隧道は、入口がコンクリートで塞がれ鋼鉄製の扉が取り付けられています。


どうやら資材置き場としての再利用がされているようです。


入口より間島村の方向。ここから直線上に道が村中まで繋がっていました。


法面に石垣が残っています。おそらくこればヒトハネ隧道が拡幅された昭和16年のものでしょうか。
この石材はヒトハネ山で産出したものと思われます。深成岩の花崗岩地帯である海府浦にあって、ヒトハネ山付近のみ火山岩(流紋岩系)の貫入があり、山から石材を産出したという記録が残されています。

ヒトハネ隧道の歴史も、他の場所とはまた異なった歴史を持っているようです。

その三へ

ヒトハネ山と柏尾隧道 その一に戻る




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ヒトハネ山と柏尾隧道 その一 ヒトハネと義経北方伝説

ヒトハネという地名があります。海府浦の南側、海府上村組の柏尾村(後に上海府村役場が設置された中心となる村であった)と間島村の間に突き出た崎の小山を指す場所に、その地名が付けられていました。


南側の間島より。現在の道路は海側を切り開いて通っていますが、平成に入る頃(2年)までは、この崎を隧道が穿っていました。



大正3年発行五万分の一地形図「村上」より
道沿いに隧道の記号が二箇所存在しています。何れも明治時代に開鑿されたものでしょう。
この地形図にも(海)府浦の地名が記載されています。

 
山側に旧道となる道が続いており、その先には「ヒトハネ」と呼ばれる隧道があります。
この「ヒトハネ」という地名の由来は、義経北方伝説に由来しているといわれています。漢字で書くと「一跳」になるのでしょうか。かつて義経が北方へ逃れた時に、騎乗していた馬が一跳でこの小山を乗り越えたとされるものです。その馬は粟島へ泳いで渡り、粟島の野生馬となった(現在は絶滅)という伝えも残されています。


皇居外苑の楠木正成像。この馬のモデルが粟島馬とのことです。

伝説由来(とされる)の地名が残る場所に穿たれた道。廃止されてから20年程経った現在の姿を追ってみましょう。

その二へ


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