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第一渡辺文録

越後海府浦をあるいています 別館 http://watanabenumber3.blog.shinobi.jp/もどうぞ

   
カテゴリー「■■■海府浦探訪■■■」の記事一覧

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海府浦探訪 その二 海府浦ノ記

田山花袋ノ編著ニ係ル日本名勝地誌ノ載スル「海府浦ノ勝」ノ一節ヲ摘記スレハ下ノ如シ

瀬波港(村上ノ西稍々北一里)ヨリ海路ヲトレハ、航行約十二里ニシテ羽前鼠ヶ關ニ至ル所謂海府浦トハ瀬波港附近ヨリ北方勝木村(北陸街道ノ始メテ山間ヨリ海ニ出ル所勝木川ノ河口ニアリ)ニ至ル直徑六里計リノ間ノ海岸ノ總稱


「蒲団」や「田舎教師」といった代表作を持つ田山花袋は紀行文作家としても著名であり、氏が編纂した「日本名勝地誌」には海府浦についての記述があります。
また、大正8年に発表された「葡萄峠を度る」では海府浦と※蒲萄峠(内海府という言い方がされた時代がある)、どちらも通りたいという一節も描かれています。

しかし実際に花袋は歩いておらず、沿岸を船で移動したという記録が残されています。

海府を文学作品として表現した作家は数少なく、「海府游記」の頼三樹三郎(鴨崖)と氏の表現に魅了された田山花袋ぐらいでしょう。
幕末~大正期にかけての姿がそこには記されています。そこから「海府浦」について見て行こうというものです。

※注・ぶどうとうげ、ぶどうの表記は葡萄、蒲萄どちらでも良いが地形図上の表記は蒲萄であり、地名としては蒲萄を用いるのが現在では正。(ただし例外あり)


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海府浦探訪 その一 越後海府浦について

新潟県には「海府」という地名が二箇所存在しています。
佐渡海府(外海府・内海府)と越後岩舩郡の海府浦。この二箇所です。地形学的な成因は全く同じといっていいでしょう、言わば断層運動によって直線的な海岸線と断層崖を成すという特徴を両者は持っています。

ここで取り上げるのは後者です。越後海府という言い方は柳田國男が佐渡海府と対の表現で佐渡にも越後にも海府という一帯の地域、「越佐二国の海府」という用い方をしています。 海府浦と呼ばれる越後の海府。大正期の地図には表記があるものの、現在の地名としてはほぼ消えつつある海府浦という一地域についての探訪、というものです。

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大正十五年発行二十万分の一地勢図「村上」より引用



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