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第一渡辺文録

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カテゴリー「勝木隧道の記憶」の記事一覧

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勝木隧道の記憶 その二 在りし日の勝木隧道

昭和44年の地形図に、初めて勝木隧道(7号勝木バイパス)が現れます。





昭和44年発行五万分の一「勝木」より

山側の明治新道(旧国道)と、海側の旧街道(出羽街道浜通り)との中間に隧道が建設されました。







以下2007年の春に撮影したものです。





北側より。(2007年5月)



昭和40年竣功、幅員6.5mという典型的な高度経済成長期の隧道であった勝木隧道。

特徴としては、後に山側に歩道部が分離されたこともあって、実質的な車道が狭く、有効高が3.8m制限というものでした。

道路法では3.8mという高さ制限がありますが、背高コンテナ(ISO規格でいう9フィート6インチ海上コンテナ)トレーラーの車高が4.1mであることから、3.8m超の指定道路として幹線国道でもある7号のボトルネック解消を図るために開削撤去となりました。





隧道の扁額。中央部ではなく、右側の位置に取り付けられていました。







南側より。



入口の形状はどちらも同様で、ちょうど左右対称なものになっていました。隧道の土被りは元々さほど多いものではなく、最初から切通しでも良かったのではという気もします。







2007年5月の時点では、すぐ西側(海側)では、隧道撤去のための工事が始まっていました。まずは迂回路を敷設するための開削から開始されています。



その三へ



勝木隧道の記憶 その一へ戻る

















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勝木隧道の記憶 その一 地形図から消えた隧道記号

明治新道勝木峠のバイパス路でもある、昭和41年に開通した現一般国道7号バイパスのうち、勝木より大崎山に至る間にはかつて勝木隧道が存在していました。


平成12年(2000年)発行1/25000「勝木」を元にカシミール3Dにて引用
隧道の記号が確認できます。並行して山側(東側)に勝木峠(明治新道)、海側(西側)に八幡山の鞍部を越える旧街道が位置します。(羽越線は八幡山隧道で越えています)


電子国土webデータを元にカシミール3Dにて引用(2012年)
現在の地形図には隧道記号はありません。

昭和30年代の設計で建設された隧道は、規格が狭小なもので、所謂「建築限界」によって撤去されることとなりましたが、撤去に至るまでの記録を少し残してありました。一桁幹線国道でもある勝木隧道が健在であったつい数年前から、撤去され切通しとなるまでの僅かな期間を、記憶として振り返ってみます。

その二へ 

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