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第一渡辺文録

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カテゴリー「松陰ノ隧道ニ想フ」の記事一覧

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松陰ノ隧道ニ想フ その十四 その後の松陰

通る必要性が無くなってからも「そのまま」の状態だった松陰の隧道であったが、暫くして下水道の整備を行っている。旧道部が盛り土されたのはそれからのことだ。

下水管だけでなく、上水道や電話線ケーブルも実は隧道の路面下を這っている。電力線はさすがに電柱を山に迂回させるものであったが、道以外の様々な公共設備が隧道を通るものであった。


道路の中央左にあるのが下水道のマンホールである。
アスファルトを剥がして再舗装した跡がうっすらだが残っている。
右奥が電話線のマンホールだったか。


松陰のヘツリを過ぎて村に入る手前に小さな切通しがあるのだが、ここに地蔵尊がある。
松陰は北からも南からも地蔵尊を脇に見て越えるものだった。


ガードレールの向こうに見える松陰の隧道。かつてはすぐ海側に磯があり、ヘツリを渡るものであった。(それとは別に山越えの道もあるのだが、道と呼べるものではない)


松陰の存在から少し地誌や歴史背景を辿ってみたのだが、村の存在そのものや発展に大きく寄与したことに変わりない。



実際どのような経緯で、いつごろ、当初はどのようなものであったかを知る術はおそらく無いのだろう。

ただ明治時代から存在していたことだけは地形図からも判断できる。
一廃隧道ではあるが、だれよりもその価値を知っているのは自分であり、それを知る権利や義務があるのも自分である。

「廃道」という世界に足を踏み入れてから、松陰をどう描くべきかを考えてはいた。とりあえずはこのようなメモ書きにとどめておくが、まだまだ多方向からのアプローチが必要だ。


(一旦了としますが続く)


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松陰ノ隧道ニ想フ その十三 松陰第三隧道の内部に関する件

2012年の9月に開催された「廃道サミット」で、松陰の事に関するエピソードのようなものを少し話している。 

今となっては残念なのだが、写真としての記録をそこまで残していなかったようだ。



以前は落石除けのような支保工のような丸太杉の支柱に支えられていた入口(南側)であるが、
よくよく見ると綺麗に円錐状の成形がなされている。

この成形そのものは昭和28年の改修時だと思うのだが、隧道が明治時代から存在し、大きさもそこそこあったことを考えると、実は当初からほぼこの形状ではなかったのか、とさえ思える。

(2013年夏撮影)


内部の写真を見るとわかるのだが、花崗岩むき出しの素掘りがあってその先が途中からコンクリート巻きの「通常の隧道」になっている。

(2013年夏撮影)


2008年に封鎖・立ち入り禁止の措置が取られているが、その前に潜った時に撮った写真があまり無いようだ。カメラにあまり興味関心が無かったこともあるのだが、勿体無いことをしたものだと思っている。




以下2007年に撮影したもので残っていた写真。



北口の出口の様子。


落石の様子が写真に残っていたようだ。



前頁の動画から切り取ったもの。この写真を撮っていなかったのが惜しい。
素掘部の狭さがお分かりだろう。明治から改修がされていない部分なのではと思う所以だ。





 
コンクリート巻きがコンクリート吹付になり、さらに素掘りとなっていた内部。



この写真はその三でも紹介しているが、こんな場所を通っていたし(形状を)そこまで不思議に思っていなかった。

廃止後に車が通らなくなってから、なぜか夏に誰か知らぬが脱糞(野糞)が必ずあったことだけはよく覚えている。こんなところでと思ったものだが、松陰の隧道についてはそんなエピソードを持っていた。



その十四へ

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松陰ノ隧道ニ想フ その十二 2007年の松陰第三隧道

最初に「松陰の隧道」と紹介したのがこの坑門である。

松陰の隧道(第三)が特異な隧道であったことはもちろん記憶にあるのだが、それがどう特異なのかを理解したのは、それから何年も経って他の例を知る機会(webの力)が増えたことだ。

古いものだし、現代のバイパスが出来れば用済みなもの、消え去った存在の一つでしかなかったことは事実である。

だが実際は旧道化して暫くの間、昭和が終わる頃までは通っていた。もう通る必要性が無いのにだ。

いつからかここを通らなくなってしまったようだ。平成になってからだろうか、「通るな」とは言われていなかった気もする。


2013年8月に撮影したもの。人が入らなくなるということは急激に薮や劣化が進むということである。


2009年の正月。この前年に入口を封鎖する処置をしている。この時点で内部に入ることはしていない。入る必要も無い。


その三」で紹介したのだが、2007年にはまだ入口の落石除けも健在で、なによりも普通に入る事が出来た。(通り抜けはできない)

今手元にある資料はこの時に何枚か撮影したものだが、鮮明なものが無いことが残念だ。



実は内部を撮影した動画がある。(画質が芳しくないことが悔やまれる)

特異点にはあまり不思議に思っていなかったのかもしれない。
もっと古い時期に記録を残せていたら、と思うのだが、それはもうかなわないことだ。

隧道の存在に係わる背景はだいぶ解りつつある。それでも解明できない部分がこの隧道の特異点なのだろう。調べる術、答えにたどり着ける手段はあるのだろうか。


これが国道(一般国道345号)であり、なによりも唯一の道であった。

その十三へ

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