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第一渡辺文録

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カテゴリー「松陰ノ隧道ニ想フ」の記事一覧

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松陰ノ隧道ニ想フ その十一 松陰第三隧道の北側入口を見る

松陰の隧道と呼んでいるのはこの「第三」のことだ。


2013年8月に撮影した写真では、草丈も長く、隧道の姿が隠れてしまっていた程に「道跡」が薄れてしまったようだ。


2012年8月に撮った写真。同じ夏の時期であるが、草叢の量が少ないのか、隧道の坑門がよく見える。


2009年の正月に、第二から見える第三を写したものがあった。位置関係がお分かりであろう。


更に古く2007年3月の写真。冬とはいえこの頃までは草に覆われることも無かったと思うが、コンクリ吹付の法面(施工は昭和40年頃だろうか)の風化崩落が始まっており、それから人の手が入らなくなったのだろう。現在に至るまで徐々に自然に帰りつつあるのだろうか。




 
再び2012年夏。風化崩落は落ち着いているようだが、完全に「埋もれた」格好だ。


近づけた頃に撮った鮮明な写真が残っていないのだが、昭和28年に改修された記録のある松陰第三隧道の北側入り口は、扁額すらないのっぺらぼうなコンクリ坑門であった。

ここを毎日潜っていたのだけれども、問題はその中にある。


その十二へ

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松陰ノ隧道ニ想フ その十 松陰第二隧道について

台帳上の「松陰第二」隧道もそれほど思い入れは無かったと記憶している。



旧道化して今年(2014年)で30年となるが、意外なほどにその時間を感じないものだ。
現道の工事が始まってからの記憶しか無いからなのだろう。岩山があった頃のことが思い出せないでいる。


昭和28年頃にコンクリート巻きの隧道に改修されているのだが、特に変哲もない古い隧道であったことぐらいだ。延長も短く、何の気兼ねもなく通っていたと思う。


どんな眺望があったのだろう。そんな想像すらしなかった━━━そのくらいに隧道の存在は身近であり日常の風景だったのだろうか。



道は土砂に埋められ、当時の様相を計り知ることができなくなった。現道を通すために開削された跡に残る海側の岩山と松だけは30年変わらない風景だろうか。


昭和20年代の隧道とあって、巻厚も薄いものである。その上部の法面のような部分に、この隧道を改修した時に産出したであろう花崗岩が用いられているようだ。


「第二」を潜り、その先のもう一つの崎を「第三」が穿たれている。


古い吹付法面の風化崩落も著しい草叢の奥に、想うべき「松陰の隧道」が姿を現す。


その十一へ

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松陰ノ隧道ニ想フ その九 松陰崎・松陰ヘツリ

『越後與地全図』(文化15年・1818年)には、松陰のヘツリが記されている。狭義で言うところの松陰(崎)のことである。


新潟県立図書館蔵

「ヘツリアリ 難所」の記載と「松影(松陰)サキ」の地名。



松陰崎のヘツリ部に現在の道路(一般国道345号)が新設されたのが昭和59年であった。


ヘツリ部の岩礁とその先の眺望は古来より不変なものだ。道に見えないが道である。

 
松陰崎・ヘツリの入口にも地蔵尊。いつからあるものだろうか。


ヘツリ部に最初に道が施されたのが明治期。その道が昭和59年まで生きていた。

 
明治に穿たれた松陰の残り二つの隧道。
台帳上は大正12年の府縣道(府屋瀬波線)編入時での「松陰第二隧道」であるが、この先に三つ目の「松陰第三隧道」が眠る。

 
その十へ

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