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第一渡辺文録

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カテゴリー「松陰ノ隧道ニ想フ」の記事一覧

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松陰ノ隧道ニ想フ その五 羽越線脇川街道踏切

松陰の隧道は何処を結ぶための道か━━━もう一つのヒントが隣村の寒川にある。


寒川の本村から狐崎・倉ノ沢を経由して松陰へと進む手前で羽越線を跨ぐのだが、


その踏切には「脇川街道踏切」という名称が付けられている。
文字通り読んで字の如くなのだが、便宜上街道としては海府浜通りであり、大正12年の府県道指定では「新潟県道府屋瀬波線」という路線名で登録されている。


なぜ脇川街道なのか。
その答えが脇川湊の存在に繋がるのである。



松陰を通り抜け脇川村に入った街道の先は脇川湊へと直進する。


脇川湊。一漁村にすぎない村であるが、地形図に描かれた停舩場が示すように、海上交通の拠点であった時期がある。

つまり脇川街道とは脇川湊への街道なのであろう。この呼び名は何時から存在するものか定かではないが、明治時代のものではないだろうか。


大正15年鉄補 1/50,000 「笹川」

米澤藩預地であった江戸時代中後期、越後国岩舩郡海府下浦組としての中心は寒川村であったが、明治22年の下海府村成立当初の役場は脇川村であった。(後に寒川へと移転)
大正13年に開通した羽越線の停車場は寒川村であるが、それまで交通の主流であった海上交通は脇川村の湊が拠点であり主役であった。
脇川街道もその途中の松陰の隧道も、脇川湊への道なのである。

その六へ

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松陰ノ隧道ニ想フ その四 隧道の歴史を見る

十数年ぶりに内部を訪れた松陰の隧道。「旧道」として内部そのものには問題なく入れたのだが、それから少し経って隧道のそのものが閉鎖をされている。


2007年8月撮影。この時点で、入口部にあった木枠の落石除けが解体されていた。
隧道の入口の形状が綺麗な釣鐘型に成形されて掘られている様子が良くわかる姿であった。


2009年1月撮影。板による封鎖をされている。実際に落石の危険性がある場所なので当然なのだが、内部には資材・木材が置かれていた。


松陰の隧道はここで改めて旧ではなく廃隧道となる訳であるが、果たしていつから存在していたのか。具体的な記録が無い(若しくは残っていない)隧道であるからだ。

『道路トンネル大鑑』(土木通信社刊)という資料が存在するのだが、昭和28年竣功という記録がある。だが、それ以前に道が無かったのかというとそうではなく、この竣功年は改修をした年であるようだ。これは実際に聞いている話なので、それ以前から隧道は存在しているということになる。

ではいつから存在するものなのか。手がかりの一つは旧版地形図である。


大正5年発行 1/50,000「笹川」

この地形図の測量は大正2年前後なのだが、徒小径ではあるが隧道の記号がすでに存在している。つまりその頃から存在していた隧道とみることが出来るのだが、もう一つ手がかりとなるべき地図記号がこの地形図に見られる。舟の記号、停舩場の存在が描かれている点である。


その五へ

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松陰ノ隧道ニ想フ その三 松陰の記録写真

自らの足で松陰を通り抜け始めた当初はまだ現道は完成していなかったのだが、確か一、二年程で海側を迂回する形の現道が先行して開通したはずである。


持っている写真で最も古いものは2007年3月に撮影したものだが、現道の一部が開通した1984年(だったか)から殆ど変化していないはず。記憶というものはそんなものである。

しいて言えば下水道の整備が平成に入ってすぐの頃にあったので、アスファルトを直線状に敷きなおした跡があるくらいだろう。



記憶の中の松陰と記録は一致している。通った頃と多少の腐食あれど変わっていない。木製の落石除けの入口が特徴て、当時の海府の隧道はこのような入口を持つものが多かったようだ。鉱山の間歩入口と同じである。



隧道の入り口は極端な場所に位置している。


花崗岩の地肌が風食なのか、少し他の場所と違って見えるのが不思議でありおどろおどろしいものだったが、特に危険は感じていなかったのかもしれない。


旧道化して久しく普通に通り抜けられたので、暫くは廃隧道を通っていたと思う。

この写真を撮った2007年に十数年ぶりに入ってみたのだが、当時の記憶とこの記録に違いが殆ど無かったことを覚えている。このような場所を通っていたのだ。


この木枠、落石除けは設置されてどのくらい経つのかわからないが、程度良く残っていたことを写真に撮っていたようだ。

1984年までの一般国道345号の姿である。

その四へ

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