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第一渡辺文録

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カテゴリー「松陰ノ隧道ニ想フ」の記事一覧

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松陰ノ隧道ニ想フ その二 記憶の中の松陰 

人の記憶は3歳から4歳の頃から覚えているといわれているが、果たして松陰の記憶はいつごろからあったのか。

しばらく古い記憶を思い起こしてみた限りでは、6歳以前の記憶が無いことに気づく。
━━━これは自分の足で通り抜けていないからなのだろう。だが当時の汽車や駅の記憶があることから、松陰についてはそこまで意識する存在ではなかったからなのか。つまり日常の風景の一部でしかなかった、とも言える。

古い写真で松陰が写っているものがあるはずもなく(そんな場所で写真など撮らないからだ)、実際にどんな風景であったかは、自分の中では地形図や空中写真での画像に頼るしかない。

最初の記憶は、もうすでに松陰が廃道になる準備=現道の建設が始まった頃である。知っている筈なのだが、磯や護岸がどのような処理であったかなどの細かい描写については知らない(思い出せない)まま今に至っているのだろう。

その後、松陰を自らの足で通り抜けることが始まる。小学校への通学である。



昭和53年発行 1/25,000「寒川」


地理院地図空中写真より 昭和52年撮影

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松陰ノ隧道ニ想フ その一 序章 

「自分の廃道とは」



オブローダーを自負している方にとっては、かならず「自分の」という廃道があるはずで、自分の場合は松陰という他に揺るぎ無い廃隧道が存在する。

自分の活動の中で、「松陰をどう描くか」は難しく、何度か記事で触れたことがあるのだが未だに調べきれていない部分が多く、納得する表現が出来ていない。

主なものでは、ORJ日本の廃道34号、廃道をゆく2、廃道サミットで松陰に触れている。文章の書き方で、人に紹介するものと自分のことを書くとでは異なるもので、前者は紹介する書き方での表現が近かっただろう。


平沼氏の活動を知って廃道というジャンルに出会って10年ほどになる。廃道が一般的に認知されるようになって、初期のようなサイト管理者による道なき道をゆくという冒険的なものから、メディア露出が出始めた2009年頃から各々の道の地理的歴史的背景や人との関わり方を自分なりに理解しようとする、という流れに移行し、本来の我々が望むべき廃道との付き合い方(これはORJが創刊から言い続けている事でもある)になっていることを皆実感しているのではないだろうか。

かつての国道であり自分自身が現役時代を知っている廃隧道の存在。そこにあることは知っていたが気にすることなど無かった、という存在でしかなかった。過去何年分か記録を取り続けており、内部を通行できた隧道も落石除けの解体や落石、入口の封をされるような変化があった。

松陰とどう向き合うか。「自分にとっての廃道」という部分に焦点を当て描く意味で、文体を少し変えて回顧録的なものを表現してみたいと思う。

その二へ

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