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第一渡辺文録

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カテゴリー「勝木-府屋町を巡る大崎山越えの交通史 第一部 八幡山篇」の記事一覧

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勝木-府屋町を巡る大崎山越えの交通史 第一部 八幡山篇 そのニ 勝木川谷底沖積地と勝木駅の立地

まず鉄路である羽越線について触れたのは、勝木駅の立地の特殊性にあります。勝木川が作り出す細い谷がそのまま日本海へ続き、河口部に於いても決して広くはない低地(谷底沖積地)に勝木駅を敷設した点でしょう。


カシミール3D+地理院地図より
両側を山に挟まれる勝木川の谷。わずか500mほどの幅に勝木駅を設置する必要がありました。


カシミール3D+10mメッシュ標高データより
勝木川の河口部には標高72mの「筥堅八幡宮社叢」(通称八幡山)が存在し、さらに河口部を狭めている恰好になります。


この狭い谷に「幹線」の駅を設けたことが運行上の最大のネックとなります。
羽越線はそもそも貨物輸送がメインであり、当時としては最新の技術・規格で建設された鉄路でもあり、特に最大勾配10‰は貨物輸送にとって非常に有利な条件でした。
大正13年に開通した勝木駅ですが、その後昭和10年代後半・大戦中に輸送力増強の為に列車交換が可能な新線へと改良する必要が出てきます。

昭和18年に着工し、結果として戦後の昭和22年に新線切り替えとなり現在に至っています。


上記の黄色丸に示したように羽越線開通当初の旧線は、海側へ弧を描き八幡山を貫くものでした。
昭和22年完成の新隧道(八幡山隧道)内部の一部まで複線となっており、400mを越す長大編成でも列車交換が可能となっています。


その三へ

勝木-府屋町を巡る大崎山越えの交通史 その一へ戻る

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勝木-府屋町を巡る大崎山越えの交通史 第一部 八幡山篇 その一 地形図上での羽越線廃線隧道

古代北陸道の末端部であり、念珠ノ関より羽州浜街道に接続する出羽街道庄内通のうち、間道という扱いであった中村(北中)より勝木川を下って勝木より海岸部を北上するルート(現在の7号に相当)は、結果的には出羽諸藩の参勤交代路としては利用されませんでしたが江戸時代も後期になるとむしろ本道としての位置づけがなされ、明治新道も同じルートで開鑿されています。

勝木より府屋町までは山側の通称「勝木峠」を越える隧道の無い道筋を通りましたが、大正13年に開通する羽越線は海岸部の大崎山を隧道で越えるルートを辿っています。同様に昭和41年に開通した一級国道7号改良も大崎山の隧道を抜けるルートを選択しています。

鉄路と道路(国道)が大崎山という地形的障害を越えるにあたって、かつての出羽街道の浜通りであった道が、近代化によってその時代時代の変遷により複雑に絡み合って現在に至っている点を見てみようというものです。

まずは鉄路である羽越線の変遷についてから始めることとします。


昭和44年発行1/50,000「勝木」
赤丸の位置に隧道の記号が見えますが、これは現存しない(埋没)しているもので、かつての羽越線の隧道として存在していました。


昭和22年発行1,50,000「勝木」より
この時点の地形図では勝木駅以北の鉄路の位置が現在と大きく異なっていることを確認できます。勝木峠が太線で表されている点(大正国道10号)もポイントです。

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