忍者ブログ

第一渡辺文録

越後海府浦をあるいています 別館 http://watanabenumber3.blog.shinobi.jp/もどうぞ

   
カテゴリー「勝木-府屋町を巡る大崎山越えの交通史 第二部 大崎山篇」の記事一覧

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

勝木-府屋町を巡る大崎山越えの交通史 第二部 大崎山篇 その三 羽越線の大崎山越え

大正13年に開通した羽越線が最初の「隧道」を以て大崎山を越える交通路となります。標高6mほどの低位面を海岸線に沿って通るものでした。


その後昭和57年に新線切り替えとなり旧線化した路線跡が残ります。その先に羽越線の旧線である大崎山隧道が通りました。


昭和47年交流電化後の新線切り替えであり、架線柱がそのまま残されている事も特徴的な旧線。


奥の低い護岸には大正13年開通当時の安山岩積み石構造が残ります。


古レールを利用した防潮柵でしょうか。古い護岸は部分的に新しいものに改築されているようです。

 
護岸に銘板がありましたが、どうやら交流電化に伴って増築されたものでしょうか。竣功が昭和47年3月とあります。


昭和34年発行1/50,000「勝木」

羽越線自体は複線化が昭和40年に決定しているものの、複線化より先に旧線の電化を行っています。勝木-府屋間に関しては複線化事業が遅れることとなるのですが、その一つの要因に、現在は羽越線の一つ上の段丘上を通る一級国道7号改良および二次改良が絡むことになります。

その四へ

勝木-府屋町を巡る大崎山越えの交通史 第二部 大崎山篇 その一へ戻る

PR

勝木-府屋町を巡る大崎山越えの交通史 第二部 大崎山篇 その二 大崎山越えの街道について

まずは時系列に旧街道(出羽街道浜通り)から解説しますが、陸路としての道はこの大崎山越えの街道が最初となります。

 
1948年米軍撮影(国土地理院空中写真閲覧サービス)より・一部加筆。
碁石の村より大崎山へと続く、明治新道勝木峠開鑿以前の旧街道の筋が黄色線の位置になります。その海側を浜伝いに通るのが大正13年開通の羽越線(旧線)。
この時点で現在の7号がこの位置ではなかったことが空中写真からも歴然です。



大崎山へ続く旧街道の筋。現行の羽越線(新線)を跨いだ位置になります。


ちょうど段丘を駆け上がった位置に現在の7号が通っていますが、街道は山裾を回り込む形で峠越えをします。現道のトンネル(府屋第一トンネル)の脇に峠への登り口があります。

以下2008年3月撮影


その旧出羽街道浜通りですが、間道という位置づけでありながらそれなりの通行があったこともあり、山肌に人工的に施された道をはっきりと残しています。


峠へ向かって街道は碁石村の浜を見下ろす位置まで来ました。

 
切り通された大崎山の峠。


切り通しから南を向くと、目印であった寝屋浜の鉾立岩(※後述します)を正面に見ることが出来ます。街道筋らしい風景ともいえるでしょうか。


峠の頂には地蔵尊の祠か3つも存在します。

明治になって荷車道(新道)を開鑿するにあたり、道路はこの大崎山越えルートを選びませんでした。6%(1/15勾配)という規格で幅2間半の道を通すのには険しさがあったことがひとつの要因ともいえるでしょう。勾配の緩いルート(勝木峠)を新道とすることが可能だったこともありますが、大崎山に道路が通されるのは昭和41年の一級国道7号改良まで待つこととなります。

その一方で当時の最新技術で建設された羽越線は、隧道で大崎山を抜けるルートを当初から取ることが可能でした。

その三へ

勝木-府屋町を巡る大崎山越えの交通史 第二部 大崎山篇 その一へ戻る 


勝木-府屋町を巡る大崎山越えの交通史 第二部 大崎山篇 その一 大崎山越えの交通路について

八幡山を越えたのは街道と鉄路でした。(便宜上の)旧出羽街道浜通りが勝木の本村から八幡山を通り、碁石村を抜けてこの先府屋町までの間に聳える大崎山を渡ることになります。


碁石村の北側入り口にあたる箇所に鎮座する地蔵尊。比較的古いものでしょうか、この経路が街道筋(間道の扱い)であったことを示すものです。

 
北側には大崎山の山塊が聳えます。旧街道は此処を山越えをしていましたが、明治荷車道(明治新道)はこの難所を避けひとつ山側の比較的勾配の緩いルート(勝木峠)を明治26年に開鑿、昭和41年まで唯一の車道である「国道」として存在しました。


山越えの街道とは別に大崎山には計4本の隧道が存在します。羽越線の旧線隧道と現行線の新線隧道、一級国道7号一次号改良の隧道と二次改良の現行線隧道です。(左から羽越線旧線・一級国道7号一時改良・二次改良の現行線・羽越線の付け替え現行新線)
この項では街道を含め順に解説をすることとします。


大正5年発行1/50,000「蒲萄峠」より
碁石村より続く旧出羽街道浜通りである大崎山越えの徒小径。
東側の山中を並行するのが明治新道勝木峠であり、後の大正国道10号、一級国道7号です。


カシミール3D+地理院地図より
大崎山越え交通路の位置関係。陸路と鉄路が幾筋も存在したのにはそれぞれ理由があります。

その二へ


カレンダー

04 2017/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

リンク

Twitter

最新コメント

[07/09 ひろ]

最新トラックバック

アクセス解析

共有

Copyright ©  -- 第一渡辺文録 --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Photo by Geralt / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]