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第一渡辺文録

越後海府浦をあるいています 別館 http://watanabenumber3.blog.shinobi.jp/もどうぞ

   

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街道と鉄路 脇川~塩浜~宝屋浜~今川 その九 集落立地の要因と道

脇川と今川の間には大きな特徴があります。二つの集落にある河川「脇川」「今川」には沖積地が殆どなく、海岸に並行した狭い平坦地(海成段丘低位面)に列村形態で線上に広がっている点です。




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何れも大正15年発行[鉄補] 五万分の一「笹川」

平地に乏しい集落にとっては、むしろ平坦地として有用な場所は耕地とすることからも、河川の沖積地、もしくは隆起した段丘面にも水利を引いて水田としての利用があります。かつては河川の段丘面に集落があったといいます。現在地の集落の歴史は比較的浅く、江戸時代以降に発達した海運の利便性を求めて海沿いの現在地に移転したものです。その後、小廻舟等を扱う廻船問屋の発展など、海岸集落としての発展がありました。

両村の間を結ぶ街道は、自然発生的に狭い僅かな平坦地を繋ぎ突き出た崎を山越えする道で繋がっています。そこに鉄路が大正13年に開通するわけですが、地形条件を克服し隧道を以て直線的に結んでいます。この鉄路によって地形要因に沿った街道は何度も鉄路と交差することになります。

街道が道路となったのは昭和40年代になってからのことです。山地と海岸線との僅かな場所に引かれた鉄路の存在は、その後の道路敷設を海岸保全に伴う護岸建設によって、海側にすることで解決しますが、それまでは街道を少し広げた程度の道が残ることになります。

道そのものの需要は少なく、海路や鉄路の存在があったことにより、海府浦全体を繋ぐ道の必要性が無かったこともありました。街道としては一筋であるものの、道路としての歴史がバラバラに繋がっている経緯と歴史があります。

地形的要因、集落の立地と特徴、鉄路の求められる性格、物流の手法など、多様な要因が絡み合って成り立っている関係性があります。二つの集落間にある短い場所ではありますが、ここだけでも地誌的な背景が濃密に詰まった場所ともいえるでしょう。 (了)


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