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第一渡辺文録

越後海府浦をあるいています 別館 http://watanabenumber3.blog.shinobi.jp/もどうぞ

   

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蒲萄峠を渡る その一 蒲萄という地名

さあ蒲萄峠に取り掛かりましょう。

田山花袋の紀行文は『葡萄峠を度る』(大正8年)ですが、現在の表記である「蒲萄」を使用します。海府浦を語る上でまず外すことのできない地名は蒲萄(ぶどう)です。蒲萄山(795m)及び新保岳(852m)を主峰とする南北に連なる蒲萄山塊という地塁山塊があります。東西からの褶曲運動によって生ずる断層崖は、日本海側に落ち込む西縁には海府浦を形成し、東縁には朝日山地本体とを分かつ南北の断層線に沿って出羽街道(庄内通り)・後の第拾號國道・一級国道7号を通しています。



蒲萄峠は蒲萄山塊東縁(内海府)の出羽街道では最も難所とされた峠です。蒲萄山塊の西縁・海府浦浜通りも道無き難所であったことから、南北の移動に関しては専ら交通の手段として海路が多く用いられてきた歴史があります。これについては後ほど述べましょう。

蒲萄という村が蒲萄峠の麓・入口にあります。もちろん蒲萄山から付けられた名称でしょう。元々ヤマブドウの多い場所であったことがその名の由来であるようです。参勤交代路であったわけでもなく、決して多くは無い通行量ではありましたが、峠の難所にあって街道の宿場として栄えた村でもあります。
P5020748.JPG
蒲萄の村に残る大きな庚申塔。古の街道の名残でしょう。


難所として恐れられた蒲萄峠。いくつかの文献にも当時の様子が描かれています。古の古道が荷車道となり、國道となって現在の一般国道7号に至るまでの歴史を蒲萄の村を中心として、文字通り「蒲萄峠を渡る」ことにしましょう。

その二へ



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