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第一渡辺文録

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蒲萄峠を渡る 明神新道篇 その四 大沢村の新道

蒲萄村を過ぎ、この境界からが大沢村となります。

昭和41年の現7号開通後旧道となった蒲萄峠の新道は、その後当時の朝日村の村道として維持管理がされていたこともあり、旧道化して暫く経ってからでしょうかアスファルト舗装が行政界であるこの場所まで施行されていました。


この先が大沢村となります。現在の大沢村は、江戸時代前期に街道が整備されて以降に移村した、旧出羽街道庄内通・大沢峠の筋に宿場としての本村がありますが、かつてはこの明神川沿いの平坦地にあったとされています。
明治新道の筋は、街道が整備されていなかった時代に村々を繋いでいた古道の場所に、改めて道が敷設されたことになるのでしょか。いくつもの小字があったようです。


舗装されていないこともあり、明治道の雰囲気が残る道が続いています。


路面は堅く踏み固められた砂利が平坦に敷き詰められています。土の泥濘や轍が無いことも、この場所がかつての主要国道であったことを今も示しているのでしょうか。道としての劣化荒廃が見られないことも特徴的です。


所々には新道時代の法面が顔を出しています。苔生した古い石積みの路肩がありました。これは大正期の国道指定(大正国道10号)での施工でしょうか。


屈折部の広い敷地もよく残されています。


明神川の谷を下らずに、中腹の位置に勾配を持たずに進む場所へと新道は敷設されてゆきました。


そのために、宿場としての整備の為に移村した出羽街道大沢宿も、「宿場」としての機能が明治新道の開鑿によって急速に薄れたということです。

街道筋から離れた場所に開削された明治新道。その後新道沿いに小字としての集落がいくつか存在していた時期がありました。

その五へ

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