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第一渡辺文録

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蒲萄峠を渡る 大沢峠篇 その三 最初の山越え

関ヶ原以降、常陸水戸より出羽久保田へ国替転封となった初代秋田藩主佐竹義宣は、その後制度化される参勤交代を見込んで出羽国およびその周辺に繋がる街道を整備したとされており、出羽街道庄内通・大沢峠も佐竹氏によって整備がなされた街道の一つとして、現在にその痕跡が残されています。


林道から別れ大沢峠へと続く街道の入り口。整備され「遊歩道化」された峠道が山中に繋がります。


杉林の続く谷筋に造られた道を登って行きます。街道筋らしく、やや勾配を持ちながらも直線的な沢の流れと並行して、最初の峠へと道が連なります。


所々にある切石。これが、佐竹義宣によって整備された大沢峠の石畳とのことで、峠を越えたマルクラ沢より切り出した岩を敷き並べた『部落の由来を訪ねて』(山北町郷土史研究会編・昭和51年より) と伝えられています。


ほぼ花崗岩で構成される蒲萄山塊と異なり、蒲萄川の谷を挟んで東側には玄武~安山岩系火山岩類の地質分布となっており、切石としても都合の良い岩だったのでしょう。


切石の足元に見ながら、小さな沢伝いを登ってゆき最初の山越えを目指します。


すぐに峠の鞍部にたどり着きました。明神川とマルクラ沢との分水界になります。


現在では鬱蒼と茂る杉林の山中にある峠道の旧街道。新道が開鑿されて以降利用の無くなった道は、田山花袋の記に「今は全く草に埋もれて、その跡をさへさだかには知ることは出来なかつた」とも表現されているように、殆ど人が入ることも無く道としての機能が失われていたのでしょう。街道の時代には、「おたすけ小屋」がいくつもあったとの記もありました。


最初の山越えを過ぎ、街道はマルクラ沢の谷をこの先越えてゆきます。

その四へ

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