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第一渡辺文録

越後海府浦をあるいています 別館 http://watanabenumber3.blog.shinobi.jp/もどうぞ

   

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蒲萄峠を渡る 大沢峠篇 その四 マルクラ沢の谷

明神川の谷とマルクラ沢との分水を越えた街道は、その後暫くマルクラ沢の作り出す谷筋を回り込む形で大沢村へと繋がります。


カシミール3D+電子国土より
マルクラ沢が作り出す谷が幾重にも分岐していますが、その中腹をなぞるように道筋が付けられていました。


石畳を足元に見つつ、谷筋を下り始めます。


人口的に作り出された切通し。結果的に参勤交代路としては用いられず脇往還とまではいかない格の街道ではありましたが、三山信仰の参詣や馬曳でそれなりに通行があったものでした。


すぐに小さな谷筋が現れます。その上段に道が付けられています。


枝分かれする小さな沢を渡ります。もちろん「街道の遊歩道整備」で設置された橋ですが、丸太を用いた簡素な構造の橋渡しが何か所もあったのでしょう。


沢を渡り、裾道を進みます。


すこし登ると程よい街道が現れました。


充分な道幅の街道。山中の谷筋にこれだけの規格が残されているのも佐竹公の遺構なのでしょう。仮に秋田藩や本荘藩、庄内藩が参勤交代路として用いて主街道たる格であれば、周囲の様相は変わっていたのかもしれません。つまり現代の羽越線や7号(日本海東北道)の置かれた状況の変化に繋がったのかもしれないということです。


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