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第一渡辺文録

越後海府浦をあるいています 別館 http://watanabenumber3.blog.shinobi.jp/もどうぞ

   

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芦谷セット・羽越線旧線構造物の道路転用 その二 徒歩道と鉄路

通称「タカヘツリ」との間に、「オダニ」という沢筋(その先はタテシマゴエノサワ・立島越の沢として、立島村までの杣道があります)が山塊を区切っています。特にこの前後は平坦な海成段丘面も無く、直接断層崖が海に落ちていることもあり、どう道筋を付けるかが難関でした。


カシミール3D+電子国土より
次郎吉による海沿いのヘツリ道が無かった頃は、ここから山越えをして鵜泊の村まで迂回する道があったとのことですが、通行の必要が無くなって以降この道もほぼ形跡は消滅しているようです。草間文績の越後輿地全図(文政年間・1818年)には、山越えの峠との記載があります。


「オダニ」で切られた山塊を、羽越線は屏風岩隧道(秋田方面下り線・大正13年からの路線)、新勝木隧道(上り線・新設造線)、新芦谷隧道(新津方面・新設複線)、さらにその先の芦谷セット(旧線)と鉄路は道を穿っています。


新勝木隧道を出てすぐに位置する「オダニ」の沢。谷を伝い山を渡るこの道もまた、各村々を繋いだ古い山越え道のひとつでした。


一方の陸路・道路に関しては、昭和31年までは車道では無かった為に、隧道と呼べるような構造ではありませんでしたが、鉄路が敷かれる以前の地形図にはそれらしき記号がありました。


大正5年発行 1/50,000「蒲萄峠」より
中央に隧道記号があります。羽越線が建設されて撤去されたようですが、おそらくこれは隧道という構造ではなく、落石除けのようなものであったかもしれません。「タカヘツリ」の記録資料には、隧道を開鑿したとの記載が調べる限りではありませんでした。
また、沢沿いに伸びる電信線の存在や山中の水稲耕作地の記号を見る限り、この「オダニ」の道がそれなりに利用されていたのでしょう。



上記の地形図での「隧道」記号はおそらくこの場所でしょう。羽越線の建設で山裾を削り取った場所、複線化の関係で更に形状が変化していることもあり、実際にはどうであったかは不明ですが、当時の陸路(徒歩道)は限りなく山裾に近い場所を通っていました。

その三へ

芦谷セット・羽越線旧線構造物の道路転用 その一 羽越線の複線化へ戻る
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