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第一渡辺文録

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蒲萄峠を渡る その四 三つの長坂峠

nagasaka_s44.jpg

長坂峠という名称がこの地形図にあります。
昭和44年発行五万分の一地形図「勝木」より

長坂峠は旧街道(出羽街道・庄内通り)時代の山越え道です。古代から利用されてきた道で、大行から蒲萄の村へ直接結ぶ街道でもあります。江戸時代前期に蒲萄越えの街道整備が秋田藩佐竹氏によって行われていますが、あくまで山越え徒歩道であったといいます。

明治に入って、明治新道と呼ばれる荷車道の整備が全国的に始まります。この蒲萄越えも資料によれば明治26年頃に完成したという記録が残っています。当時は新潟縣三等縣道鼠ヶ關線という名称であったようです。

この明治新道は古来の長坂峠とは一本東の谷を越えていることが特徴です。二間半という幅員で整備されていった荷車道の新道は、大正9年には國道拾號として、昭和27年には一級国道7号となり、その後、昭和41年に一級国道7号改良によって蒲萄トンネルが開通するまで越後と出羽庄内を結ぶ唯一の道として利用されてきました。

P5020764.JPG
現在の一般国道7号である蒲萄トンネル。明治新道の下に開通させたものです。これを抜けると蒲萄の村につながります。

碧梧桐や花袋が通った峠道は、橘南谿が難儀した長坂峠と違ってなだらかで難儀ではないものと記しています。古来の山越え道や現代のトンネルとはまた趣の違った「明治新道」の通る場所は、当時の土木技術や地形の見方を示しています。そんな個性や特徴といったものをこれから見て行きましょう。

※注 このブログでは古代出羽街道にはあまり触れない予定です。この"蒲萄峠を渡る"では、花袋の通った蒲萄越えを再現するものとして捉えています。

その五へ

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