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第一渡辺文録

越後海府浦をあるいています 別館 http://watanabenumber3.blog.shinobi.jp/もどうぞ

   

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松陰ノ隧道ニ想フ その五 羽越線脇川街道踏切

松陰の隧道は何処を結ぶための道か━━━もう一つのヒントが隣村の寒川にある。


寒川の本村から狐崎・倉ノ沢を経由して松陰へと進む手前で羽越線を跨ぐのだが、


その踏切には「脇川街道踏切」という名称が付けられている。
文字通り読んで字の如くなのだが、便宜上街道としては海府浜通りであり、大正12年の府県道指定では「新潟県道府屋瀬波線」という路線名で登録されている。


なぜ脇川街道なのか。
その答えが脇川湊の存在に繋がるのである。



松陰を通り抜け脇川村に入った街道の先は脇川湊へと直進する。


脇川湊。一漁村にすぎない村であるが、地形図に描かれた停舩場が示すように、海上交通の拠点であった時期がある。

つまり脇川街道とは脇川湊への街道なのであろう。この呼び名は何時から存在するものか定かではないが、明治時代のものではないだろうか。


大正15年鉄補 1/50,000 「笹川」

米澤藩預地であった江戸時代中後期、越後国岩舩郡海府下浦組としての中心は寒川村であったが、明治22年の下海府村成立当初の役場は脇川村であった。(後に寒川へと移転)
大正13年に開通した羽越線の停車場は寒川村であるが、それまで交通の主流であった海上交通は脇川村の湊が拠点であり主役であった。
脇川街道もその途中の松陰の隧道も、脇川湊への道なのである。

その六へ

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