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第一渡辺文録

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蒲萄峠を渡る その九 国道の跡と今

旧版の地形図上では太線で描かれている長坂峠の新道には、「岩崖」や「切り通し」の開鑿によって生み出されたことが わかります。
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大正5年発行 五万分の一地形図「蒲萄峠」より


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左側(西側)を開鑿して出来上がった新道。路面は今もなお平坦で道の姿を残すものです。

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おそらく戦後の改修時でしょう。路肩の駒止と玉石・コンクリート法面の補強。

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少し進むと非常にきれいな場所がありました。電力線の保守や砂防工事で自動車が入っているとはいえ、これだけ平坦な「道路」が残されていることを考えると如何に強固な造りであったことが伺えます。

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ここで東向きに進路を変え、長坂峠のサミットへと続きます。どうやら砂防工事はここまで行われていました。幅二間半≒4.5mの国道のカーブが見事に現されています。

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すぐに路面が荒れだしました。どうやら道の姿がくっきりのこされていたのはこの場所までのようです。ここから先、自動車の入った形跡は残されていませんでした。

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明治新道長坂峠はすっかり低木の中に埋もれ廃道の様相を呈しています。廃止から40年以上が経っていますが、藪ではなく植生が低木類に変遷をしています。つまりは道としてはもう必要なかった、ということになります。

明治の新道は如何に勾配を少なくするか、という目的で開鑿されていった経緯があります。これはムラの生活圏とは全く関係無いものです。この先長坂峠の新道は暫く廃道の状態での残されていますが、峠と街道と宿場・ムラとの相互関係がそこにあると考えることができます。距離にして1km程しか離れていない蒲萄のムラまで道がどのように繋がっているかを考察することによって、道とムラとの関係性が見えてくるでしょう。

まずは花袋・碧梧桐の渡った長坂峠新道をこのまま進みます。

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