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第一渡辺文録

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勝木-府屋町を巡る大崎山越えの交通史 第一部 八幡山篇 その一 地形図上での羽越線廃線隧道

古代北陸道の末端部であり、念珠ノ関より羽州浜街道に接続する出羽街道庄内通のうち、間道という扱いであった中村(北中)より勝木川を下って勝木より海岸部を北上するルート(現在の7号に相当)は、結果的には出羽諸藩の参勤交代路としては利用されませんでしたが江戸時代も後期になるとむしろ本道としての位置づけがなされ、明治新道も同じルートで開鑿されています。

勝木より府屋町までは山側の通称「勝木峠」を越える隧道の無い道筋を通りましたが、大正13年に開通する羽越線は海岸部の大崎山を隧道で越えるルートを辿っています。同様に昭和41年に開通した一級国道7号改良も大崎山の隧道を抜けるルートを選択しています。

鉄路と道路(国道)が大崎山という地形的障害を越えるにあたって、かつての出羽街道の浜通りであった道が、近代化によってその時代時代の変遷により複雑に絡み合って現在に至っている点を見てみようというものです。

まずは鉄路である羽越線の変遷についてから始めることとします。


昭和44年発行1/50,000「勝木」
赤丸の位置に隧道の記号が見えますが、これは現存しない(埋没)しているもので、かつての羽越線の隧道として存在していました。


昭和22年発行1,50,000「勝木」より
この時点の地形図では勝木駅以北の鉄路の位置が現在と大きく異なっていることを確認できます。勝木峠が太線で表されている点(大正国道10号)もポイントです。

その二へ

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