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第一渡辺文録

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勝木-府屋町を巡る大崎山越えの交通史 第一部 八幡山篇 その三 羽越線に並行する出羽街道浜通りを碁石へ

大正13年当初の羽越線が通った八幡山(八幡宮)は、旧街道(出羽街道本道の間道)が勝木の本村から碁石へと入る筋と並行することになります。南から海府浜通りと合流して念珠の関で羽州浜街道となるまでを便宜上「出羽街道浜通り」としますが、念珠の関から勝木までの区間は特に街道としての名称は無く、松尾芭蕉の一行も念珠の関から中村まで出羽街道本道(小俣宿経由)か間道(府屋町勝木経由)かのどの経路を通ったかの記録が残されていないという逸話も残ります。


大正5年発行1/50,000「蒲萄峠」より
現勝木駅のある場所は低地ということもあり、一面水田が広がる場所でした。
羽越線開業前の地形図には、旧線の八幡山隧道があった箇所(八幡山の東側鞍部)傍に隧道の記号があります。これは元の街道筋に存在した間歩掘りとのことで、おそらく明治中期に穿たれたものと思われます。羽越線が開通するとこの隧道は撤去(切通し)されたようです。


現在の一般国道345号は山裾をバイパスしていますが、昭和55年の開通以前は勝木駅の北側を踏切で渡るものでした。このバイパスのほぼ真下に勝木の本村から続く旧街道(出羽街道浜通り)があったようです。

  
345号をアンダーパスして碁石へと続く切通りへと進みます。

 
この切通し部、側面に羽越線で良くみられる古い石積み法面があるのですが、これは当初この西側にあった旧八幡山隧道を建設するにあたってこの箇所の隧道が障害となったため、切り通したのではないかと推測します。実際に羽越線開業後の地形図には隧道の記号が無いこと、法面が古い(大正13年当時のものと思われます)ことが裏付けとなるでしょうか。


切通しの東側(右)にも古い石積み法面が見えます。


鞍部を越えた村の入口に庚申塔。石の質感からも古いものです。


庚申塔の先に車道が続く格好ですが、狭い村中を迂回する道として旧線跡が利用された格好でしょうか。この道の先に沿うように勝木駅から旧八幡山隧道を通り鉄路が続いていました。

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