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第一渡辺文録

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勝木-府屋町を巡る大崎山越えの交通史 第一部 八幡山篇 その六 現行線の八幡山隧道について

八幡山の新線切り替えについての解説が述べられた書籍があります。

「越後の停車場」(朝日新聞新潟支局編・1981年)に以下の記述が載っています。

ここから引用

"戦争が激化して日本海側の輸送増強に迫られた時、最大のネックになったのが旧トンネル。長い貨物列車だと、トンネルが邪魔になり列車交換が出来なかった。そこで計画されたのが駅ホームから直線で結ばれる新しいトンネルの掘削だった。

昭和十八年の着工だが、戦争中のこと、資材、人員もままならない。それに羽越線工事でも難航の原因になった風化性の土質。工事は原始的な「手掘り」方式だった。
この土運びに民間人が動員された。村上の県立旧制村上中学校はじめ近隣の青年学校の生徒、それに軍需工場などにいっていない各地の商店主など。「このトンネルが完成すれば勝利の日は近い」のかけ声でシャベルを握り、モッコを担ぎ、トロッコを押した。

結局終戦までには完成せず、開通したのは戦後の二十二年。延長百六十八メートル(複線部分五十ニメートル)の新トンネルは戦後の復興に役立った"

引用終わり


勝木口より見える昭和22年完成の「新」八幡山隧道はブロックを用いないコンクリート製。
ここだけが新しい理由が存在しました。

※同様に太平洋戦時中の羽越線増強で開設されたものに今川信号所があります(後日取り上げます)



当初の鉄路の路盤。道路とならなかった箇所も平坦な叢がその筋を残しています。


その後もう一度羽越線の輸送力増強が検討される機会があります。昭和40年に決定した羽越線複線化です。

その七へ

勝木-府屋町を巡る大崎山越えの交通史 その一へ戻る




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