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第一渡辺文録

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勝木-府屋町を巡る大崎山越えの交通史 第二部 大崎山篇 その二 大崎山越えの街道について

まずは時系列に旧街道(出羽街道浜通り)から解説しますが、陸路としての道はこの大崎山越えの街道が最初となります。

 
1948年米軍撮影(国土地理院空中写真閲覧サービス)より・一部加筆。
碁石の村より大崎山へと続く、明治新道勝木峠開鑿以前の旧街道の筋が黄色線の位置になります。その海側を浜伝いに通るのが大正13年開通の羽越線(旧線)。
この時点で現在の7号がこの位置ではなかったことが空中写真からも歴然です。



大崎山へ続く旧街道の筋。現行の羽越線(新線)を跨いだ位置になります。


ちょうど段丘を駆け上がった位置に現在の7号が通っていますが、街道は山裾を回り込む形で峠越えをします。現道のトンネル(府屋第一トンネル)の脇に峠への登り口があります。

以下2008年3月撮影


その旧出羽街道浜通りですが、間道という位置づけでありながらそれなりの通行があったこともあり、山肌に人工的に施された道をはっきりと残しています。


峠へ向かって街道は碁石村の浜を見下ろす位置まで来ました。

 
切り通された大崎山の峠。


切り通しから南を向くと、目印であった寝屋浜の鉾立岩(※後述します)を正面に見ることが出来ます。街道筋らしい風景ともいえるでしょうか。


峠の頂には地蔵尊の祠か3つも存在します。

明治になって荷車道(新道)を開鑿するにあたり、道路はこの大崎山越えルートを選びませんでした。6%(1/15勾配)という規格で幅2間半の道を通すのには険しさがあったことがひとつの要因ともいえるでしょう。勾配の緩いルート(勝木峠)を新道とすることが可能だったこともありますが、大崎山に道路が通されるのは昭和41年の一級国道7号改良まで待つこととなります。

その一方で当時の最新技術で建設された羽越線は、隧道で大崎山を抜けるルートを当初から取ることが可能でした。

その三へ

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