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第一渡辺文録

越後海府浦をあるいています 別館 http://watanabenumber3.blog.shinobi.jp/もどうぞ

   

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蒲萄峠を渡る その十 長坂峠新道のサミット

明治26年頃に新たに「明治新道」として開鑿された長坂峠の新道。そのサミットは現在では全くの廃道と化しています。昭和41年に現在の一般国道7号蒲萄トンネルが供用されて以降、かつての新道の峠サミット部はそのままの状態で残されていました。

6efca304.jpg
かつての路面には低木の樹木が育ち、倒木の姿もそのままとなっています。

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ここから切り通しで開鑿された峠のサミット部となります。

03258208.jpg
直線で造成された切り通し部が確認できます。冬季には積雪が2~3mとなることから、積雪で倒木した姿が邪魔をしていますが、紛れもなく道路の姿を見て取れます。左側の奥には比較的新しめの電柱がありました。

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路面が植生で荒れていたのはほんの僅かな部分でした。電柱の保守などもあり人が定期的に入っているのでしょう。明治大正昭和と利用された新道・旧国道の路面はしっかりと大きな浸食もなく残されています。

216f3ce5.jpg
何時の改修かは不明ですが石積みの法面が両脇にあります。

25f78398.jpg
何度か改修されているのでしょうか。水抜きの管の存在もありました。おそらく戦後・一級国道7号となった頃でしょうか。石積みそのものはもっと前から存在していたのでしょう。菱形の石材が並んでいます。

16bc3005.jpg
新道・長坂峠のサミットはここまでです。廃道とはいえ、現在も電力線・電話線等が峠を跨いでいるようです。
しかしながら廃道となった経緯は、この新道の沿いに全く田畑が無いことにあります。つまりムラの生活そのものには関連していない道と見ることができます。そのために、この長坂峠の新道のみが廃止後全く利用されている形跡が無い、という考察ができるのではないでしょうか。実際旧街道の長坂峠周辺には蒲萄村の田畑の存在が地形図からも確認することができます。

この先すぐに蒲萄の村へと入るのですが、直接繋がっているわけではありません。ここに荷車道としての明治新道・蒲萄越えの特徴が表れています。

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