忍者ブログ

第一渡辺文録

越後海府浦をあるいています 別館 http://watanabenumber3.blog.shinobi.jp/もどうぞ

   

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

勝木-府屋町を巡る大崎山越えの交通史 第二部 大崎山篇 その六 一級国道7号大崎山隧道

昭和38年竣功、昭和41年に開通し昭和54年に旧道化、平成24年より通行止め(=事実上の廃隧道)となった一級国道7号一次改良大崎山隧道ですが、竣功-現役よりも、旧道化して通行止めの処置がなされるまでの期間の方がずっと長いのが特徴でした。

 
旧街道の真下を抜ける(旧)大崎山隧道。仮にここを隧道で明治新道が抜けていたとすれば、九十九折で登りもう少し高い位置に坑門を持っていたのでしょう。
新潟県側は隧道を開鑿しないルート取りをしているため、結果明治新道荷車道には隧道が一本も開鑿されていません。但しほぼ同時期明治24年までに開通した山形県側には、鶴岡町までに隧道が4箇所存在しました(そのうち3箇所は改良現存であり現役)これは三島縣令(三島通庸)による当初の計画がそのまま生かされたとみて良いでしょうか。


2007年撮影。
もちろん自動車での通行が可能でしたが、内部の電灯(蛍光灯)も生かされていました。
狭小幅員を注意喚起する両サイドの黄黒の縞模様が時代を示しています。


旧街道から見る国道。羽越線の新旧と国道7号の新旧とが一望できます。


大崎山隧道の扁額は黒御影が埋め込まれていました。

  
昭和38年8月竣功
一級国道7号線
巾員6M
延長300M

昭和40年4月の道路法改正以前の竣功であるため、「一級国道」の銘が残ります。


従来工法である「矢板」の跡が残る隧道構内。有効6mの幅員は昭和30年代の竣功としては一般的ですが、現代の車両事情からみればやや狭小なものです。

その七へ

勝木-府屋町を巡る大崎山越えの交通史 第二部 大崎山篇 その一へ戻る



PR

COMMENT

NAME
TITLE
MAIL(非公開)
URL
EMOJI
Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
COMMENT
PASS(コメント編集に必須です)
SECRET
管理人のみ閲覧できます

カレンダー

05 2017/06 07
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30

リンク

Twitter

最新コメント

[07/09 ひろ]

最新トラックバック

アクセス解析

共有

Copyright ©  -- 第一渡辺文録 --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Photo by Geralt / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]