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第一渡辺文録

越後海府浦をあるいています 別館 http://watanabenumber3.blog.shinobi.jp/もどうぞ

   

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タカヘツリをゆく その四 ヘツリの変遷

明治30年に開鑿された通称タカヘツリの明治道。その後大正13年に羽越線が開通しますが、当時の最先端の技術で建設されていった鉄道は、いとも簡単に幾多もの隧道を以て直線的な筋を描き「タカヘツリ」を克服します。

その後自動車通行可能な「道路」の建設が昭和31年に始まりますが、当時の資料がいくつか残されています。
(昭和50年発行の山北町村合併20周年記念冊子・ねんりんより引用)
1_1.jpg
昭和30年頃に撮影された通称「屏風岩」と呼ばれている入り江の箇所の資料ですが、中央部に次郎吉の開鑿したタカヘツリ明治道が写っています。幅二尺ほどと伝えられていますが、資料の通り「道」とは呼び難いものでした。

1_2.JPG
これが現在の姿です。羽越線(現在は複線化され下り方面)の隧道及び覆道があって、その脇を二車線規格の道路が通っていますが、この道が昭和31年に開鑿されたタカヘツリの昭和新道となります。

P1041370.JPG
現在は入り江を跨ぐ橋梁(鵜泊大橋)によって廃道化しています。

次郎吉の築いた道のほとんどは昭和の新道によって姿を残す場所はありませんが、唯一この場所には微かに断崖の中段に「道」らしきものが確認できる場所でもあります。



昭和50年に「一般国道345号」として昇格しその後も改良を経て現在に至っていますが、文字通り「ヘツリ」であった鵜泊芦谷間のタカヘツリは昭和31年の新道開鑿まで道らしい道ではありませんでした。国策でもあった鉄道の存在・当時すでに「国道」であった内海府(蒲萄峠経由)の10号(後の7号)があったこともあり、海府浦には道らしい道が無かった時代です。戦後になってようやく少しずつ自動車が通行可能な道路として改良されていくこととなりますが、この「タカヘツリ」区間には事細かい資料がありました。昭和31年に行われた自衛隊建設大隊による開鑿です。

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