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第一渡辺文録

越後海府浦をあるいています 別館 http://watanabenumber3.blog.shinobi.jp/もどうぞ

   

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タカヘツリをゆく その五 自衛隊建設大隊による道路建設

海府浜通りに相当する新潟縣道府屋瀬波線(後の新潟県道村上温海線)を構成するタカヘツリ明治道が車道化されたのが昭和31年のこととなります。
戦後新潟県が押し進めた「海岸無雪道路」(現在の一般国道345号・402号に相当)として着工された区間で、自衛隊の工事訓練(山北町史より)という名目で、防衛庁豊川駐屯地の第103建設大隊(当時)の隊員150名によって昭和31年6月30日より開始され、作業日数57日間、延べ15524人の人員、総爆薬量1717.5kg、総工費508万円を以て鵜泊~芦谷間に延長420m、幅員5mの道路を開通させたと記録されています。

(いづれも山北町村合併20周年記念事業「ねんりん」より出典)
P2190029.JPG
通称「屏風岩」の入り江にある崎。菅原次郎吉の開鑿したタカヘツリ明治道はこの上部20m程の箇所を通っています。

P2190031.JPG
ダイナマイトによる爆破の資料がありました。

P2190030.JPG
羽越線の隧道は屏風岩隧道。手前に映っているのが屏風岩と呼ばれる岩礁です。

P4040205.JPG
現在の屏風岩。羽越線はその後覆道化されていますが、どのように道路建設がされていったかの形跡が確認できます。

当時のタカヘツリの前後の道も非常に粗末なもので、建設大隊の作業にあたり重機や資材の運搬を羽越線・鵜泊隧道と寝屋隧道の間(鵜泊村内)に仮設ホームを設置して行うというものであったという記載があります。

道無き断層崖のヘツリに道を施し、その道をなぞるように昭和の道路が建設されたタカヘツリ。海府浦にとってはこの道が最初の「道路らしい道路」となりますが、自動車が実際に通行できるようになるには海岸道路が全通する昭和44年までもう13年ほど待たなくてはなりませんでした。

※このタカヘツリ昭和新道は後の一般国道7号の路線として組み込まれる予定だった、という逸話も残されていますがこの件については後日とりあげたいと思います。

その六へ

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