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第一渡辺文録

越後海府浦をあるいています 別館 http://watanabenumber3.blog.shinobi.jp/もどうぞ

   

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明治新道・勝木峠 その一 紀行文に登場する峠道

海府浦から少し離れますが、明治新道である勝木峠について取り上げてみましょう。

勝木川の谷と府屋大川の谷との間を結ぶ「勝木峠」という名称は通称名であって地形図上に表記されているものではありません。明治期になって全国的にそれまでの街道から荷車が通行可能な幅員と緩勾配によって開鑿されていった新道で、その多くは「明治新道」と呼ばれ現在もその名残を残す道は多数存在します。
蒲萄越えの長坂峠新道もこの明治新道に該当しますが、これから取り上げる勝木峠もそれまでの街道(出羽街道庄内通り及び出羽街道浜通り)とは別に山側へ開鑿された荷車道のことになります。



カシミール3D+地理院地図より。
地形図上にも現在の一般国道7号の山側に細い山越え道が描かれています。この道が通称「勝木峠」と呼ばれた明治新道となります。

明治40年に通行した記録を残している河東碧梧桐の紀行文「三千里」では、
『府屋町(俗に大川ともいう)を経てから道は山にはいる』
という一文が描かれています。

また、田山花袋の「葡萄峠を度る」(大正8年)でも峠について触れています。
『府屋町から少し行ったところで、海岸への路と峠への路がわかれた。矢張、海よりも峠の方に私は心を惹かれていたということが次第にわかって来た。私は左の路(峠)を取った』

現在の一般国道7号が出羽街道の間道にあたる部分を通っていますが、江戸時代の街道期から海府浜通りとの交点として、宿場としての一定の繁栄があったとされる勝木の村から勝木峠を越えてみましょう。

その二へ
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