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第一渡辺文録

越後海府浦をあるいています 別館 http://watanabenumber3.blog.shinobi.jp/もどうぞ

   

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明治新道・勝木峠 その十一 間ノ内川の谷底沖積地

勝木の谷から二つの分水嶺を越え間ノ内川の谷底へ下りてきました。


間ノ内川の谷は碁石川の谷とは異なり比較的谷底沖積地が発達しているため、その殆どが水田として利用されており、現在も水稲耕作が行われています。

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幅はひろくはありませんが奥行のある谷底沖積地が広がります。

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間ノ内川の谷は出口の部分がやや狭くなっており、丁度この新道部が開けているような盆地状の格好になっています。勝木峠の新道が開鑿される以前から耕地は あったようですが、間ノ内の村がこの場所に発達したわけではなく、府屋町の小字であり「停舩場」の名残として出羽街道・庄内通りの間道である浜通り沿いになる河口部に漁村として存在しています。

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水稲耕作地として適した沖積地の乏しい中、水田が川に沿って帯状に連なっています。

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ここで間ノ内川を渡ります。この橋も碁石川に架橋されている橋とほぼ同じものでしょうか。

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鋼鉄製の梁の上にPCコンクリート桁が載せられた橋梁。昭和30年代のものでしょう。石積み橋台は大正末期~昭和初期に改良を受けたものでしょう。

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橋を渡ってすぐの場所に上流へ続く道があります。この先も谷に沿って暫く水田が続くようです。

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河口部にある間ノ内の村へ続く道。水田の淵を沿って下ってゆきます。水利条件の良い場所を水田として利用し、影響のない場所を選んで道が施されています。勝木峠の新道が現在も「道」として機能している要因は、農地としての土地利用が続いていることなのでしょう。山中に開鑿された新道によって、平坦な箇所が存在した間ノ内川の谷は恩恵を受けた格好になるのでしょうか。

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川を渡り細長い谷底を過ぎるとすぐに次の峠へと道は進みます。最後の分水嶺である府屋大川の谷との山越えです。

その十二へ

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