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第一渡辺文録

越後海府浦をあるいています 別館 http://watanabenumber3.blog.shinobi.jp/もどうぞ

   

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アジリキ崎・板貝ヘツリ その九 難所の入口と地蔵尊

板貝の浜へとたどり着きました。難所であった板貝ヘツリもここまでです。現在の一般国道345号及び護岸(昭和58年竣功)によって砂浜は僅かしかありませんが、かつては広大な浜がありました。

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ヘツリ道の形跡はほぼ残ってはいませんが、砂浜や磯を伝ってヘツリを渡っていたのでしょう。

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浜に降りてみました。長石・石英類の多く含まれた花崗岩を母岩とする粒子の大きな砂が特徴です。

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浜からヘツリ渡りに繋がる部分が確認できます。もっと先の方まで砂の堆積があったのでしょう。

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大正の道~昭和58年まで利用された旧道へ登る階段で道路へと登ります。この場所の護岸は現道の改修時に敷設されたものです。

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旧国道345号「天王沢隧道」の傍に地蔵尊がありました。

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難所の入口に地蔵あり、この構図は海府では至る所に見られるもので、板貝からの入口には観音様と共に鎮座しています。台座はコンクリートで固められていますが、おそらく元々は明治時代かそれ以前からあるものなのでしょう。どの地蔵尊も大切に扱われているのを見かけます。


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現一般国道345号弘法トンネルと、大正期に開鑿され海岸無雪道路として拡幅車道化を受けた天王沢隧道、そしてアジリキ崎を回り込む板貝ヘツリ。三代の道が一か所に分岐交差する板貝側の入口です。

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地形を巧みに利用し、自然発生的なヘツリに少々の手を加えた板貝ヘツリは「道」というにはあまりにも粗末なものですが、元々は海路という輸送・移動手段が主であったために、人が渡れればよいというものだったのでしょう。
海府浦にとっての道とは海路のことです。陸路は必要最低限なものである、ということがこのヘツリ道からも見ることができます。まず村から停舩場へと続く道から順に開鑿されていった海府の道は、一本の道として繋がったのが昭和44年と随分と遅いものでした。それぞれの村とを繋ぐ道にはそれぞれ別の歴史背景が存在しています。この「板貝ヘツリ」もその一つの道です。海路・山越えヘツリ渡りの陸路、羽越線という鉄路、そして自動車社会の現代の道。各々の道は複雑に関わり合った背景があります。この先板貝の村を経て「板貝峠」という山越え道に入りますが、ここにも海府浦の姿を見出すことが出来ることでしょう。時代を合わせた道の歴史を順に追ってみることにします。

アジリキ崎・板貝ヘツリ(了)

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