忍者ブログ

第一渡辺文録

越後海府浦をあるいています 別館 http://watanabenumber3.blog.shinobi.jp/もどうぞ

   

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

海府の山越え古道・板貝峠 その二 古地形図から見る板貝峠と名勝笹川流

板貝峠に関する古い地形図を見てみましょう。

fe0f7ad5.jpg
大正5年発行五万分の一地形図「笹川」より

この図はアジリキ崎・板貝ヘツリで紹介した地形図から直ぐ南に続くもので、大正2年に図測した地形図であることから海岸部の隧道(大正4~6年にかけて開鑿)及び羽越線(大正13年開通)は描かれておらず、板貝峠の徒小径のみが「道」として描かれています。ちょうど峠道によって山越え迂回する部分の海岸部に「笹川流」の文字を見ることができますが、これが狭義で言う現在の名勝笹川流に相当します。(国の名勝・天然記念物として指定されたのは昭和2年)

大正期に海岸線沿いの道が開鑿されるまでは、陸路としての道は板貝峠しか無く、「笹川流」に近づく手段は海上交通のみであったことがこの地形図から読み取ることができます。つまり海府浦を南北に縦断する手法として主であったのが海路であった為に、海からの景勝を愛でたとされる「笹川流」の名称が道の無い時代にも地名として地形図上に記載されている、ということに繋がります。

海府浦でも特に切り立った断層崖や浸食が進行し、険しい場所を迂回する峠道が板貝峠になります。その海岸線の男性的な美を景勝したのが、笹川流と呼ばれた海路からの眺望となります。陸路が自然発生的な山越え道から海岸線沿いに移り、鉄道の開通を迎えるのが大正末期~昭和初期のことであり、この時期(昭和2年)に日本百景の選定及び国指定名勝天然物として新聞等で紹介され笹川流が広く知られることとなります。

※笹川流についての詳細は別の機会に取り上げたいと思います。

このように海岸線を伝う道の無い時代があった板貝笹川間の道ですが、この板貝峠がどのような形で生きていた道なのかをまず確かめてみましょう。


その三へ


海府の山越え古道・板貝峠 その一へ戻る




PR

COMMENT

NAME
TITLE
MAIL(非公開)
URL
EMOJI
Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
COMMENT
PASS(コメント編集に必須です)
SECRET
管理人のみ閲覧できます

カレンダー

03 2017/04 05
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30

リンク

Twitter

最新コメント

[07/09 ひろ]

最新トラックバック

アクセス解析

共有

Copyright ©  -- 第一渡辺文録 --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Photo by Geralt / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]