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第一渡辺文録

越後海府浦をあるいています 別館 http://watanabenumber3.blog.shinobi.jp/もどうぞ

   

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海府の山越え古道・板貝峠 その十二 笹川村の谷

ようやく笹川村の谷へたどり着きました。

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笹川を跨ぐ橋はコンクリート製となっています。河川改修時のものでしょう。もちろん自動車等が通れるものではありません。


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沢筋に沿って下ってきた峠道。小さな流れが下刻作用で作り出した谷でもあります。そこに峠道を通していました。

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笹川村からの入り口。ここから谷筋を遡って板貝峠へと登ってゆくことになります。峠の入り口としての雰囲気は今も十分です。

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笹川が作り出す谷底沖積地。狭く細い谷がここから海まで続きます。その先に見えるのが笹川の村です。

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河川改修によって護岸があるため、当時の姿は薄いものとなっていますが、この位置に古道がありました。

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村の入り口まで来ました。この先の街道は村の中を通っていたものでした。板貝の口とは異なり、この場所には地蔵尊や庚申碑等はありませんでした。笹川村からと板貝村から見た峠の存在の違いなのでしょうか。

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現在の道(車道)は笹川に沿って作られています。

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その先にある橋。ここが昭和49年に整備された遊歩道の笹川入口になります。

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笹川の河口までやってきました。大正13年竣功の羽越線橋梁、その先に大正6年頃に最初の架橋がされた海府浦浜通り・現一般国道345号の笹川橋と続き、日本海へと合流することになります。

板貝村・笹川村間の海岸線に沿った浜通りが、「道」として最初の形となったのが大正6年頃の事となります。それまで利用されていた陸路がこの板貝峠でした。自然発生的な山越え道ですが、地形条件を巧みに利用し使われてきた峠道です。周辺の村々を移動するのみの利用で、決して「街道」とまではいかない道でしたが、所々に当時の形跡を残し今に至っています。

今回は板貝の口から笹川の口まで越えることにより、今の現状をレポートしてきましたが、板貝峠の存在について次回考察をしてみることとします。

その十三 板貝峠の考察へ

海府の山越え古道・板貝峠 その一へ戻る
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