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第一渡辺文録

越後海府浦をあるいています 別館 http://watanabenumber3.blog.shinobi.jp/もどうぞ

   

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海府の浦を繋ぐ道~深浦・恵比寿浦~ その一 峠越えから隧道の道へ

板貝の村と笹川の村を繋いでいた板貝峠の古道から、現在の一般国道345号の原型となった浜通りの道として陸路が繋がったのが大正初期のこととなります。直接日本海に落ち込む花崗岩の断崖を、幾多もの隧道を穿ち崎と浦とを交互に結んでいった道は、それまで海上からの舟でのみ辿り着けた深浦や恵比寿浦に直接陸伝いで到着を可能としました。所謂「笹川流」に陸路で到達できる道の開鑿です。

fd467ca4.jpg
昭和11年発行1/50,000地形図 「笹川」より
地形図上では、ここに初めて陸路が描かれることになります。

昭和43年度末の路線台帳を基にした「道路トンネル大鑑」によれば、北(板貝)から
  • 神宮沢第一(現道)
  • 神宮沢第二(現道)
  • 神宮沢第三(現道)
  • 炭沢(現道)
  • 尺ナギ(開削)
  • アカタビラ(改修)
  • 平木(現存・廃)
  • カタガリ松(改修)
  • 滝の尻(現道)
  • ニタコ間(現道)
笹川村までの間に以上十本の隧道の記録が残されています。そのうち六本はまったく同じ場所、ほぼ同じ延長で現在に至っていることが特徴となります。一方で浜通りに道が施された後、大正13年に開通した羽越線は、同じ区間の山側を僅か三本(北から板貝・笹川・魚見山)で貫いています。
この道は精々三尺程度の幅であったという記録が残っています。旧道路法による「縣道」としてまだ認定されていなかった時代に開鑿された道と、ほぼ国策である鉄道敷設とでは技術力や資金面での差は大きなものがあったのだと思いますが、その大正初期の道路が現在の車道である一般国道345号に至るまでほぼ同じ場所である、という点が興味深い点ではないでしょうか。

それでは板貝の浜から深浦・恵比寿浦と伝い笹川の浜まで結んだ浜通りを、現在の形から大正初期に開鑿された最初の原型や鉄道との関連性を見ながら、板貝の村より深浦・恵比寿浦を通って笹川の村まで南進をしてみましょう。

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