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第一渡辺文録

越後海府浦をあるいています 別館 http://watanabenumber3.blog.shinobi.jp/もどうぞ

   

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海府の浦を繋ぐ道~深浦・恵比寿浦~ その十 新旧カタガリ松隧道

南側より初代の道へ入ってみましょう。昭和50年の改良によって、現在のアカタビラ隧道及びカタガリ松隧道は直線で結ばれていますが、当初の道は海側へ迂回する形を取っています。

P5011519_R.JPG
直線の隧道の先には炭沢隧道も見られます。ここからは上り勾配になっていることがわかりるでしょう。山側の覆道は羽越線笹川隧道で、深浦よりここまで一直線に開鑿されています。
(追記)初代カタガリ松隧道は、ちょうど羽越線笹川隧道が岩塊に潜り込む位置にあったようです。

P5011491_R.JPG
昭和50年竣功の新カタガリ松隧道が穿たれた場所の資料がありました。

P3250001.JPG
車道改良後、直ぐの昭和45年に、町によって建造された無料休憩所です。この施設も、新道建設の為にわずかな期間しか存在しなかったようです。
山北町町制20周年記念冊子「ねんりん」より引用


P5011490_R.JPG
その無料休憩所の位置には、現在はトイレがあります。当時のカードレールは新しい柵に代わっていますが、ここにはっきりと道があった形跡が解ります。その先、岩山とコンクリート吹付の崖が聳える箇所が、初代のカタガリ松隧道平木隧道があった場所でした。

katagarimatsu.JPG
おそらく平木隧道と思われる昭和10年の資料があります。(山北町町史通史編より) 
隧道というよりは、ロックシェッド的なものとなっています。この資料からも解るように、鉱山の間歩掘りのような坑門の造りになっています。古くは江戸時代前期より、海府一帯には蒲萄をはじめとして多くの鉱山が存在していました。坑道を掘削する技術が発達していたのでしょう、小鳥越洞門から始まり、明治大正と多くの隧道が開鑿されていったことは、間歩掘りの技術に成り立っていたことが一つの要因なのでしょう。

(2016年1月追記)

国土地理院が公開する米軍撮影空中写真からは、尺ナギ、平木、カタガリ松の3本の隧道を確認できました。当時は羽越線の覆洞門が増築されておらず、現在の国道に面した休憩所の東屋まで岩塊があったようです。

P5011505_R.JPG
隧道といっても、非常に短いものが多く存在しました。岩山を刳り貫いて道を施す以外にも、切通しのような形状にして覆道を設置し道を通す箇所も絡めて、大正期に一本の筋が繋げられていったのです。

P5011511.JPG
恵比寿浦の景を眺めつつ、南進して笹川の浜へと進みます。

その十一へ

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