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第一渡辺文録

越後海府浦をあるいています 別館 http://watanabenumber3.blog.shinobi.jp/もどうぞ

   

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蒲萄峠を渡るスピンオフ企画 蒲萄峠に羽越線を通してみよう その三 村上駅の位置を変えてみよう

羽越線は大正3年に信越線から分離した「村上線」として、新津駅より村上駅までが延伸開通しています。

  
大正5年発行1/50,000「村上」
大正3年に開通した村上線(当時)が建設中となっていますが、この図はそれ以前の測量であるためです。この時点で村上駅の位置が現在の場所=村上町の西端にあり、その先が海側へ曲げられていることからも当初から羽越線は海府浦を経由するものとして計画されていました。

 
カシミール3D+5mメッシュ標高データより。
三面川の河岸段丘面、標高10mほどの桑畑・茶畑が広がる町の西はずれに村上駅は設置されましたが、その先越後小川駅(仮称)の方面まで延伸するには、三面川の沖積低地、氾濫原に沿って鉄路を曲げる必要があります。ただし地盤の強度を考慮すると現実的ではありません。また、段丘面の縁を通るにしても、町を横断することになりこれも現実的ではありません。

現行の路線が村上駅を出て北西側に曲がってから三面川を渡っているのは、段丘面の縁を沿って進み、一段低くなる沖積低地の盛土構造の距離を短くする意味もあるのでしょう。


カシミール3D+200,000地勢図より
上記の問題を解決するには、手前の岩船町駅より北東へ分岐(=現在の7号バイパスに相当する箇所)して鉄路を敷くのがよさそうです。


大正5年発行 1/50,000「村上」より
赤線が現在の一般国道7号、黄色線が出羽街道庄内通の街道筋であり後の大正国道10号・一級国道7号。村上町は昭和21年に合併するまで町人町の村上町に対して武家町の村上本町として行政区が分かれていたのですが(この話はまた別途)、城址である臥牛山の東麓・村上本町と山辺里村との境、岩船町駅より5.2km地点の仲間町付近に村上駅(仮称)を設置できそうです。


その四へ

蒲萄峠を渡るスピンオフ企画 蒲萄峠に羽越線を通してみよう その一へ戻る
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蒲萄峠を渡るスピンオフ企画 蒲萄峠に羽越線を通してみよう その二 設置駅を検討してみよう

さて実際に鉄路を引くとして、まずは駅をどう設置するかですが、沿線の自治体に一箇所ずつ設置、駅間の長くなる蒲萄峠には蒲萄駅を設けることとします。


以下の5駅を設置するものとします。(カシミール3Dに加筆)


越後小川駅(館越村) 大正5年発行1/50,000 「塩野町」 村上より約4.5km

  
猿沢駅(猿沢村) 大正5年発行1/50,000 「塩野町」 越後小川より約4.0km


塩野町駅(塩野町村) 大正5年発行1/50,000 「塩野町」 猿沢より約6km


蒲萄駅(塩野町村) 大正5年発行1/50,000「蒲萄峠」塩野町より約7km


北中駅(黒川俣村) 大正5年発行1/50,000「蒲萄峠」 蒲萄より約6.5km

村上町と近すぎる山辺里村には駅は設置しないこととします。また、北中より勝木まで直線で約8kmですが、自治体としては隣村であり途中駅は設けないことにします。羽越線は「貨物幹線」であるため駅間の距離は長いことを想定し、実際に現行の海府浦ルートでは当初は村上-柏尾(未成)-桑川-越後寒川の各駅が10km近い間隔で設置する計画でした。

駅勢圏沿線人口も現行の海府浦ルート(上海府村・下海府村)より多く、現在の7号(出羽街道庄内通)が蒲萄を廻っている理由の一つでもあります。

その三へ

蒲萄峠を渡るスピンオフ企画 蒲萄峠に羽越線を通してみよう その一へ戻る

蒲萄峠を渡るスピンオフ企画 蒲萄峠に羽越線を通してみよう その一 導入部

幹線国道と鉄道とはほぼ同じ経路を並行に辿る箇所が殆どなのですが、一連の連載【蒲萄峠を渡る】でも示したように、羽越線と7号の関係性は蒲萄山塊では東西に分かれて違う経路を辿っています。
かつての街道筋・出羽街道庄内通を踏襲する明治新道・後の大正国道10号、現在の一般国道7号(事業中の日本海東北道)は蒲萄山塊東麓、蒲萄峠を経由するのに対して、大正13年7月に羽越南線(村上-鼠ヶ関)の開通を以て全通した羽越線は、海府浦の海岸線(海府浜通・現一般国道345号)と並行する経路を選択しています。


カシミール3Dに加筆。黒線が現行の羽越線。

明治20年代より「羽越海岸鉄道」といわれる鉄道の計画は存在していましたが、日本海側の鉄道路線は、明治38年全通の内陸を通る奥羽線より遅れ、全通が大正の末期になっています。これは結果として当時の最新工事技術(コンクリートの使用など)が盛り込まれ、海府浦の狭小な平坦地に多くの隧道によって直線的な鉄路を引いた羽越線は、最大勾配10‰という幹線鉄道としては平坦であり貨物輸送にとっては非常に有利な路線となることが出来た、とも取ることが出来ます。

当初から「どちらを通すか」という検討はされていたのだと思われますが、仮に街道筋と同様に蒲萄峠経由になっていたらという検証を、地形条件に照らし合わせながら鉄路を引いてみようという架空路線企画です。

その二へ


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