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第一渡辺文録

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勝木-府屋町を巡る大崎山越えの交通史 第二部 大崎山篇 その六 一級国道7号大崎山隧道

昭和38年竣功、昭和41年に開通し昭和54年に旧道化、平成24年より通行止め(=事実上の廃隧道)となった一級国道7号一次改良大崎山隧道ですが、竣功-現役よりも、旧道化して通行止めの処置がなされるまでの期間の方がずっと長いのが特徴でした。

 
旧街道の真下を抜ける(旧)大崎山隧道。仮にここを隧道で明治新道が抜けていたとすれば、九十九折で登りもう少し高い位置に坑門を持っていたのでしょう。
新潟県側は隧道を開鑿しないルート取りをしているため、結果明治新道荷車道には隧道が一本も開鑿されていません。但しほぼ同時期明治24年までに開通した山形県側には、鶴岡町までに隧道が4箇所存在しました(そのうち3箇所は改良現存であり現役)これは三島縣令(三島通庸)による当初の計画がそのまま生かされたとみて良いでしょうか。


2007年撮影。
もちろん自動車での通行が可能でしたが、内部の電灯(蛍光灯)も生かされていました。
狭小幅員を注意喚起する両サイドの黄黒の縞模様が時代を示しています。


旧街道から見る国道。羽越線の新旧と国道7号の新旧とが一望できます。


大崎山隧道の扁額は黒御影が埋め込まれていました。

  
昭和38年8月竣功
一級国道7号線
巾員6M
延長300M

昭和40年4月の道路法改正以前の竣功であるため、「一級国道」の銘が残ります。


従来工法である「矢板」の跡が残る隧道構内。有効6mの幅員は昭和30年代の竣功としては一般的ですが、現代の車両事情からみればやや狭小なものです。

その七へ

勝木-府屋町を巡る大崎山越えの交通史 第二部 大崎山篇 その一へ戻る



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勝木-府屋町を巡る大崎山越えの交通史 第二部 大崎山篇 その五 一級国道7号改良

明治新道として荷車道化された鼠ヶ關縣道が大正国道10号の指定を経て、昭和27年に青森より新潟を結ぶ「一級国道7号」として指定されますが、二車線舗装路の「国道」として改良が完成するのが昭和41年のことです。


大正11年発行1/200,000「村上」
勝木より府屋までは勝木峠を通る国道(大正国道10号)と、旧街道(出羽街道浜通り)にあたる道が二筋描かれています。


カシミール3Dに一部加筆
結果として開通は昭和41年でしたが、一級国道7号改良のルートがいくつかの案があり直前まで決定しなかったために、着工がやや遅れた理由があるようです。

勝木峠を迂回するルート上で、着工が最後となったのが昭和40年度竣功である勝木隧道の存在(建築限界のため撤去済)なのですが、これは村上町より県境まで一級国道7号改良を何処に通すか、という案が3種(現345号に並行する海岸線ルート・現行の7号ルートと、現行線から蒲萄川を下って寒川を経て勝木に至るルート)あり、最終的に折衷案である蒲萄川ルートが決定したものの時の建設大臣の提言で現在のルートに着工直前で変更されたという話があります。(新潟国道二十年史より)
※この件は改めて特集します。



現在は昭和53年開通の二次改良による「府屋第一トンネル」が大崎山を通りますが、その海側を一次改良ルートが通ります。


国土地理院空中写真閲覧サービスより
昭和52年の大崎山隧道付近の空中写真ですが、この時点で二次改良(府屋第一トンネル)は着工しているものの、羽越線の複線化事業である新大崎山隧道は着工していません。一般国道7号二次改良と羽越線の複線化事業はそれぞれの工事日程に調整が必要でした。


現在は老朽化等で通行止めの措置となった一級国道7号一次改良に伴う新ルート・大崎山隧道。前述した勝木隧道の遅れもあり昭和41年の開通(竣功は昭和38年)でしたが、結果として約13年ほどの使用で旧道化となっています。

その六へ

勝木-府屋町を巡る大崎山越えの交通史 第二部 大崎山篇 その一へ戻る

勝木-府屋町を巡る大崎山越えの交通史 第二部 大崎山篇 その四 羽越線新大崎山隧道 #暫定単線

羽越線の複線化事業に伴い、山側に新たに掘削された新大崎山隧道が供用となるのは昭和57年のことです。



現一般国道7号の下を潜る形で隧道が開削されましたが、前項でも示した通りにこの区間の複線化は中止・凍結となっているため、複線断面の新線トンネルでありながら単線での使用という「暫定単線」の状態となって今に至っています。

おまけ・暫定単線に関する記事
信越線戸草隧道 (信濃町富濃)
篠ノ井線第一白坂隧道・第三白坂隧道 (安曇野市明科中川手)
中央西線新権現隧道  (塩尻市贄川)
中央西線第2奈良井川橋りょう  (塩尻市贄川)


旧線である旧大崎山隧道との位置関係。新線の頭上を通る国道。


山側にレールが敷かれ、海側はスラブ軌道用の突起だけがある状態。あくまで複線化する「予定」で完成させたのでしょう。



大崎山トンネル
型式 複線交流型
延長 782M00
設計 信濃川工事局
施工 佐藤工業株式会社
着手 昭和53年4月
しゅん功 昭和56年10月

着手の昭和53年という時期が一つのキーとなるのですが、これは現行の一般国道7号である府屋第一トンネルが完成したタイミングになります。



7号の真下を横切りトンネルで抜ける羽越線の現行線。この位置は一級国道7号一次改良の旧道敷真上であるため、「国道の改良を待って羽越線の複線化に着手した」ことになります。


道路の改良が鉄道に影響したのでしょうか。結果的に複線化が遅れたことにより国鉄再建法の関係で単線となってしまったようです。
なぜこうなったのかは一級国道7号改良が一次改良で済まず、二次改良(現道である府屋第一トンネル)が必要であったことに起因します。


カシミール3Dに一部加筆

その五へ

勝木-府屋町を巡る大崎山越えの交通史 第二部 大崎山篇 その一へ戻る

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